補遺Ⅰ前編 削除と冤罪 ― 記録の中の誤解

補遺Ⅰ後編 物語が現実を凌駕する ― 界隈も飲み込まれた信仰構造

これまで、北九州子どもノンフィクション文学賞(悠仁さま佳作受賞)の検証記事を公開してきました。

数字に見る「奇妙」づくし作文コンクール 悠仁さま屈指の優秀伝説ー北九州市子どもノンフィクション受賞を徹底検証
「コンクール!お前もか!?」ー悠仁さま屈指の優秀伝説ー北九州市子どもノンフィクション受賞を徹底検証 第二弾
私は「剽窃」派 北九州市議会では、なんと!?
悠仁さま屈指の優秀伝説ー北九州市子どもノンフィクション受賞を徹底検証 第三段ー「人」 秋篠宮家はズルい
悠仁さま受賞の「道程」(構造の必然) ― 北九州子どもノンフィクション検証・最終弾 | 悠仁さまの前に道はできる、悠仁さまの後ろの道は消える

「数の異例」「コンクール制度の異例」「人脈・宣伝構造」…それぞれデータを積み重ねて、表や図を用いて可視化してきたつもりです。
私の推論が、正解なのかどうかはわかりません。

正直に言えば、「事実を伝える」だけなら、最終弾の要約記事で十分だったと思います。
その方が短く、読みやすく、アクセスも伸びたでしょう。
けれども、私はあえて細かいデータから順番に提示しました。
その理由を、これからお話します。

この記事は、私と他の発信者(Eさん)との間で起きた一件を題材に、「誤解がどのように固定化し、構造化していくのか」を検証する記録です。

何故ここまで検証したのか

「地味な調査」が推測を「妄想」にさせない

結論から言います、「突飛な推論」や「陰謀論」と思われないためです。
裏付けとなる地味な調査があるからこそ、世間では突飛に思える推測も「筋の通った推論」として成立します。
もし途中で的外れに見える展開になっても、一次資料という「原点」に戻ることができます。

土台がない場合、界隈内では通用しても、秋篠宮家の問題を知らない世間一般には、暴論や単なる誹謗中傷として扱われる可能性が高いと感じています。
悠仁さまの、北九州作文コンクールの受賞と剽窃、そしてその後の対応は、秋篠宮家の姿勢とズルの構造が、非常に見事に現れています。
その構造を提示し、「どうせズルでしょ?」との感想に至る根拠を示しました。

「地味な調査」が文字情報に意味を見出す 「重要な遺物」や「化石」を見抜くようなもの

例えば港区の「赤坂御用地に昆虫を集める」拠点化戦略PDF。
あれは単なるネット検索ではなく、広大で漠然とした領域を地道に掘ってようやく見つけた…正確には、「意味を見出した」ものです。
一自治体の環境保護政策に過ぎませんから、PDFそのものはネット上に存在していました。
(北九州の件でいえば、あのコンクールの後援がかなりレアであること)

トンボに関しては、今回の北九州検証記事の100倍は労力を注ぎ込みました。
何しろ、何を探しているのか、何があるのか、私自身わからない、つまり漠然ととてつもない広範囲だから。

数カ月かけ、掘り続けてようやく「これは秋篠宮家の優秀計画に利用される」筋道が見えたのです。

過去のパターンを鑑みれば、

  • 現在皇居調査が行われているだろうこと
  • その科博の調査の後には毎回論文が出されること
  • 東大推薦進学を狙うために学外活動の実績がほしいこと
  • それはトンボまたはビオトープだろうこと
  • 公的な機関の計画に便乗すること
  • それを悠仁さまの発見や成果にする

これらは、今回の作文コンクールにも見えています。
いつものパターンということは、そのパターンを実行できる「場」と「素材」を見つければ予想がつくということです。

そして、悠仁さまのとんぼ論文が発表される半年以上も前に、そう予想して共有し記事公開されていたのに…

調査した事実を主張した者は偽物? 主張しなかったら本物? 

「これは意味があるのでは?悠仁さまが利用するのでは?」と考え、Eさんに情報提供しました。

※ただし、ポンとURLを貼っただけなので、期間をかけて掘り自信を持って共有していると思われなかったのかもしれません。
検索窓にかかったURLを貼り、「怪しくないですか?」ぐらいのノリだと思われたのかも。
そもそも、他の二名は、港区戦略の件を、誰が持ってきた情報なのかも知りません。
共有チャットに、数カ月来てもいなかったのですから。

私がそこまで調べていたことは知られず、情報提供するまでの「私一人での調査」は、最初から軽視されていたのでしょう。
99%調べていても、残りの1%を共にしたら「皆で調べた」になるし、ツイッターで噂していたことと、証拠を出して提示し、そこから地味に掘って調査をすることも同列。

「いえ、私が1人で調べました」と主張すると「本物はそういう事言わない」になる。
すごく歪でおかしな世界観ですね。

結果「悠仁さまは皇居調査に便乗、実績を作り、論文を出すだろう」との予想通りになりました。
それは偶然予想が当たったのではなく、必然なのです。

自信ではない 「事実の主張」主張せねば、事実は力ある者に塗り替えられる

特別な能力は要りません。最低限の知識と、根気があれば誰でも見つけられます。
化石だって断片しか出てきません。石をよく眺めることで「これは!?」となるんです。
けれど、地味な調査は、時間と労力をかなり消費する割には、派手さがなく、表にも出にくい作業です。
だからこそ私は、「自分の調査と予測を残したい」と強く思っていました。

「すごいでしょ!」との自慢でも、「私が見つけた!私が!」の自信でもなく、
これまでの秋篠宮家のパターンを知っているかの問題、単なる根気の問題です。

そして事実は事実。
事実を主張して、その事実が気に入らないからと「本物はそんな事言わない」と貶めて、そこに正義はあるのでしょうか。

ダーク
ダーク

それって、『秋篠宮家を批判してるのは、金で雇ったバイトだ』と、週刊誌を使って貶めさせている(だろう)宮内庁やアキシンとなにが違うんだ?
レッテル貼って、発言の力を落として、言論封殺してるだけじゃねーの?

「知識のひけらかし」と笑うのは、その調査の手間と、真実を追究する誠実さから目を背けたい人の言葉でしょ。
秋津が積み重ねてきたのは、虚飾でも虚栄でもなく事実の裏付け。つまり土台だもの。
地味でも、誰かが確かめ記録し続けることが、社会の健全さを支えるのよ。

たとえば、研究の分野は、実に地道な作業の積み重ねです。
社会を影で支えているのは、華々しいものではなく、そういう世界
です。

地味な調査が持つ力

刺激的な情報は、そのときはバーーっと界隈に拡散しますが、あっという間に消費され、 時期がズレるともう意味をなさなくなります。
しかし、地道に調査した記録は残ります。
事実を追っていれば、秋篠宮家の「手口」は、常に前もって見えていました。
そういう調査が、どれだけ大切か、後々まで強くそこに残るかを書きたかったんです。

爆発的な拡散もタイムリーな話題でもないが、後になって「結局あれの内容はどういうものだったのだろう」と気になった人や、新たに皇室の問題に気づき始めた人に、ここにありますよと「杭」を打ち込むような指針のような。

地味な調査は、興奮するような刺激性はありませんし、「コイツが疑わしいぞ!」と喚起させる物もありません。
私の文章が拙いこともあると思います。

ただ、界隈で(おそらく)まだ知られていない新情報は、北九州検証シリーズでも、結構散りばめてます。
事実を掘ってると、けっこうなものがずっと埋まったまま放置されてること気づき
ます。

化石だって、よくよく石を観察しなければ、最低限の知識もなければ「ただの石」です。

どうしても記事を残して欲しかった理由


どうしても「このように調査し、予想していた事実」が、私のブログの武器として、「核」としてほしかった。
Eさんと共有した調査を、記事としてネット上に残しておきたかった。

地味な調査こそが、いつか闇を照らす光となるのだから、消費に終わってはいけない、と。

しかし、この界隈の方々には、ほとんど伝わらなかったように思います。
これからも、大半の人には伝わらないと思います。

自分から消せと言ったくせに消されてキレてる、自分が見つけた資料を他の人が使ったら怒ってる、全て自分のおかげだと思い上がった、アタオカ自信家…
私への評価は、そんなところでしょうね。


届けたい人ほど、ここを読むことはないでしょうし、読んだとしても「妨害活動」、私はもうなにをやっても「妨害者」扱いでしょう。
 

削除依頼と撤回の齟齬

同じ言葉でも解釈のズレから誤解が固定化していくプロセス

私は2023年9月6日、病気の混乱のさなか、それまで私が関わった「記事を削除してほしい」とEさんに伝えてしまいました。
そして、同じ日のうちに撤回しました。少なくとも、私は、撤回したつもりでいました。
Eさんからも「思いとどまってくれてよかった。削除は一瞬なのだからよく考えて」と返信をもらいました。

つまり「削除依頼」と「撤回」は同日に行われ、当人同士のやり取りとしては一度で完結していたのです。
ところが…Eさんの中では、私の「撤回」の意思は伝わっておらず、後に私が「何度も削除依頼と撤回を繰り返した。削除しろと言われたから消したら、キレている」という話に変わっていました。

おそらく、私が他の人に弱音を吐いたことが第三者経由で伝わり、時系列を無視した形で固定化されたのでしょう。
「秋津が消したがっている」という言葉だけが独り歩きし、実際には撤回していたことが忘れ去られました。

実際に記事が削除されたのは、削除の話を出してから二か月後のことでした(その間も私は寄稿を続けていた)
私は、削除の件は「停止したもの」と信じていました。だから、とてもショックでした。

結果として、私が「予想を残したかった」とんぼ記事はネット上から消えており、その事を私は知らない状態で、悠仁さまのトンボ論文が出ました。
一気にトンボに注目が集まり、それまで皇居調査についても記事化していたEさんのもとには、一気に情報が。
そこに、私がAさんとしてインタビューに答えていた記事は存在していません。
そこから「トンボはEさんブログが全て行った」「そこに秋津の力はない」と、既成事実化されました。

冤罪の固定化と第三者の介入

当人同士のやり取りとしてはすでに終わっていたはず…。
しかし、そこに第三者の介入が加わりました。

私は当時、迷いに迷い、精神状態も思わしくなく、思いはあるのにそれをうまく表現できない、そんな中で愚痴を口にしていたのは事実です。
その断片が、後にEさんへ伝わり、「秋津が繰り返し削除を求めた」という物語が出来上がりました。
Mさんたちもその解釈を補強し、誤解は完全に固定化されました。

私はただ、悩みを打ち明けたつもりでした。
「○○さんに言いにくいなら、私から伝えましょうか?」との問いかけもありました。
しかし、私は自分で直接Eさんに伝えました。そして撤回しているんです。
そのやり取りまでも「削除依頼の繰り返し」と解釈されたのかもしれません。

本音を言いますと、私はEさんより、この2人に怒りを感じています。
一度として「直接話しあうこと」を勧めるわけでもなく、ただEさんの悪口であったり、「こんなこと言ってた」とスクショを貼り付けたり、相当な的はずれなことを言ってきたり、それでいて全て私が悪いようにEさんの勘違いを増強し…正直「かき回された」印象が非常に強いです。

ズバリ言えば

はっきり言います。すべてEさんの勘違いです。
一人の勘違いが膨らみに膨らんで、界隈中に事実として広まってしまった。前提から間違ってます。
そして、「そうではない情報は探さず、そうに違いない前提で、都合の良い情報のみを拾って」、悪意のフィルターで増幅させている。

ただし、その勘違いをさせた点においては、私に非があります。
病気の症状とは言え、大いに混乱させてしまったと思います。

なので、勘違いそのものを批判する気はありません。

けれど、私も私の名誉のために「違うことは違うと主張する必要と権利」があります。
そして、冤罪とも言えるので、必死に声を上げます。

私は、何度も、「メールを確認してください」とお願いしました。

集団から「謂れのない物語となって事実を捻じ曲げられ大悪党のようにされた」今の状況に、少しでも抗っていかなくては、ブログ発信なんて出来ません。

「秋津からの妨害を受けている」として言論を封じようとすることにも、抵抗していきます。
私がいくら誤解ですから話を聞いてくださいと言っても、「妨害目的」「私は忙しい」とシャットアウトしておきながら、私が黙らなければ「妨害受けてます」はないでしょう?

削除依頼と撤回のすれ違い

削除依頼の撤回後に、Eさんから「思いとどまってくれて良かった」と返信があり、「消すのは一瞬だからよく考えて」と、私の軽率さを注意されたと思ってました。
 

実際に、記事が削除されたのは、私が直接伝えてから二か月後のことです。
その間コシヒカリの記事を投稿するなど、私はEさんを信用していました。
しかし、連絡もなく消されました。
私が予測していた、「悠仁さまは皇居調査に便乗して進学の実績にするかも。毎回調査のあとには論文が出されてる。ちょうど港区の戦略と合致する」の記事は、ネット上から消え
ていました。

連絡がなかったために、私は知らず、その間に悠仁のトンボ論文が出されました。
そして一気に、とんぼ情報がEさんのもとに集まり、「とんぼはEさんのもの」と言った空気が醸成されました。
私が予想していたものは、新情報となったり港区戦略もEさんが見つけたものとされたり、私の存在は消えたのです。
連絡があれば、私の予想を、私の力でネット上に残せたかもしれないのに…悔しくてたまりません。

記事を消す前に、それを一言でも伝えてくれていれば…私の予想を、自分の責任で残せたかもしれないのに。
しかし、Eさん達から返ってきたのは「あなたも書けばいいでしょ」という言葉でした。
けれど、そういう問題ではないのです。
あの記事は、単なる意見ではなく、時系列に基づいた調査記録でした。
「書けばいい」では済まない。消された時点で、証拠も、私の存在も、同時に消えたので
す。


予想できていた証拠がなくなったんです。
つまり、「地味な調査」の力の証明ができなくなった
のです。
そして、「私は予想していたんです」といくら言っても、妄想や嘘に落とし込まれる状況になりました。

私は、その解釈のズレに気づいたのはずっと後でした。
事実を確認してほしいだけだったのに、正直に説明したことすら違う解釈をされ、それに悲しいと伝えることすら「被害者気取り」と処理
されてしまったのです。

削除理由は後になってから 

削除は、「危ないと思ったから」と説明されました。
そして、「あなたが望んだのに、削除されたと騒ぐのは妨害目的だ」決めつけられました。

妨害目的だとする判断は、私が「Eさんのツイートを消してください」と求めたこと、「記事を戻してください」と望んだこと、これにより「記事削除は秋津の希望=その事実、を隠すため」だそうで。
ツイート内容は、「消すのは一瞬だからよく考えて、と私は忠告した」

ツイート消しを求めたのは、「おたがいツイートを消しましょう」とEさんから約束を持ちかけられ、私はアカウントごと消したのに、Eさんは約束を違え残していたからです。
約束は守ってくださいとの意味で、ツイート消しを求めました。
私の反論は無くなったのだから。

そして、削除された記事を戻してと望んだのは、当然でしょう?
私は、削除を希望してなかったのに消されたのだから。それは、終始主張していました。

その2つは、「双方の主張に食い違いがある」事の証明でしかなく、「秋津は妨害目的でブログを始める」の証明にはなり得ません。

他の二名と話し合い、「そうに違いない」と思い込んでしまったのでしょうが、そもそも、他の二名は、私とEさんと直接のメールのやりとりを知らないはずです。
「そうに違いない」「秋津が削除を希望した」と思いこんでメールを見れば、如何様にも受け取れたはずです。

もちろん、Eさんは、そう感じたのでしょう。

でも私は違います。私は、削除依頼を撤回していたし、削除を望んでなかった。
なのに、連絡もなく消され、しかも「撤回している」との主張は聞く耳持たれず妨害活動と思われている。
しかし、私は、私の主張をしている
んです。

秋津と話し合いではなく、事情を知らない者と固められた「事実」

私は、いつも一人で主張していました。
けれど、Eさん側はいつも複数人で立場を固めていました。
「削除と撤回の齟齬」は、私とEさんの、二人だけのメールのやりとりで起きた出来事です。
それにもかかわらず、他の人たちは、私が混乱していた時期の言葉だけを根拠に、「秋津が削除を望んでいた」と決めつけていきました。
彼らは互いに「秋津がこう言っていた」と補い合い、
「秋津が削除を希望していたのに、削除されて怒るのは妨害目的だ」という結論を、
まるで「共有された、紛れもない真実」のように、強固に固め
ていきました。
私が主張していた「齟齬」そのものは、そもそも議論の俎上にすら上がらなかったのだと思います。

Eさんは、「削除は一瞬なのだから、よく考えてと忠告した」と主張しました。
けれど、私の視点からすれば、それは削除希望を撤回した後の返答です。
私たちは当時、Twitter上の発言をお互いに消そうと約束
していました。
それなのに、なぜEさんは、その約束に反して、
「削除は一瞬だからよく考えて」という主旨のツイートを残したのでしょうか。
何故、私の反論を消させ、自分の発言だけを残したのか。
その時点で、私の主張を、本心ではなく嘘や策謀と捉えていたのではないでしょうか。

主張が割れているのに、一方的断罪とシャットアウトは、あまりにも誠実さに欠けているように思います。
私が、Eさんの言う「秋津に感謝していた」との言を、信じられない部分はそこにあります。

私は、自分の主張こそが絶対に正しいと言いたいのではありません。
本来は、どちらかが勝つか正しいかではなく、冷静な話し合いが必要だったのだと思います。

冤罪の恐怖

私は当時の経緯を、記事としてこのブログに公開しましたが、その内容に対しても「我田引水」「簒奪者」とレッテルを貼られ、逆にいじめの口実にされていきました。

声を上げれば「都合のいい言い訳」、黙れば「やっぱり悪いことをした、嘘」とされる。
すべてが悪意に受け取られていく…まさに冤罪の型にはめられていく恐怖を感じました。

ダーク
ダーク

撤回したのに「何度も削除しろ、いや戻せって言った」にすり替えられ、削除理由は半年後に後付け!
そのうえ妨害者扱い!?ふざけんな!!秋津は、秋篠宮家のズルを暴きたかっただけだ!
なのに、神1人に嫌われると「悪人」にされていく。冤罪ってこうして作られるんだよ💢

正直、記事削除は齟齬の結果だと、今も思ってます。
けど、私の策謀扱い、徹底的に悪人にされたら、私も人のいいことは言ってられない
って。

記事を削除するにしても、直前までメールを交わしていたのだから、
「消します」の一言があれば、私は「予想を残すこと」=(調査の重要性の主張)ができたはずです。
その一言さえなく、沈黙のまま削除された。
それが何よりも、私という存在を軽視していた証拠です。

私は、著作権だの運営気取りだの、そんなことを問題にしていたのではありません。
論点をすり替えたうえで、「くだらぬことで怒っている秋津」として拡散されたこと。
それこそが、最も深い侮辱でした。

私の怒りは、誤解に対するものではありません。
調査と私の存在を軽んじられ、なかったことにされたことへの怒り、そして根底にあるのは、とても深い悲しみと痛みです。

情報提供者として認められない痛み

私は、赤とんぼ先生事件の記事以降、ずっと三人セットで見られてきました。
 ※赤とんぼ先生事件の調査は、そもそも関係を持つ以前に完成していました。
  記事作成のために、情報を「共有」したんです。


けれども実際には、二人が不在の時期に私が一人で港区の戦略PDFを見つけ、それを提供しました。
それをもとに記事化が進み、後から二人が戻ってきて、結果としてチャット空間では四人で話す場面もありました。
私の時間軸では、調査をしていたのは、ほぼ私一人か私とEさんです。

また、実際に独自の情報を徹底的に掘り起こしていたのは私であり、他の二人が常に同じような調査成果を持っていたわけではありません。
ところが、他の3人にとっては「4人で調べた」という物語に整理され、調査の深さや分量の違いは切り落とされてしまいました。
その結果、私は他の人たちと同じ「情報提供者」という一括りに入れられました。

実際には、私が起点となって積み上げていた調査であっても、同等に処理されてしまったのです。
仲が良かったときは、もちろんなにも思いません。
リアル生活は大事ですし、調査は強要なわけでもないです。
しかし、私の痕跡は、記事を消されたことで、ゼロになりました。

実際に、あのときトンボだけを追いかけていたのは私です。
Eさんは、他の多くの情報を追っており、もう二人は共有チャットに来ない期間が長かった。
それでも、いつの間にか「皆で見つけたこと」に書き換えられていきました。

私のことを「無かったこと」にしている人たちが、Eさんの情報だと信じて、実際には私の掘り当てた情報を使っている。
それもまた、この界隈の構造を象徴しているように思います。

彼女たちが歩いている地面は、私が掘り続けて固めた「調査の地層」です。
そして、その下には私と同様に、界隈から排除される目に遭い、又はとても嫌な思いをして静かに去っていった、多くの人たちの痕跡も存在しています。

Eさんを信奉する人たちは、「本物だけが残る」と言いながら、その「本物」を支えてきた人々の足跡を踏みつけにしている。

それが、いまの界隈の現実だと思います。
「本物だけが残る」と感じるのは、単なる生存バイアスです。

集団いじめの構造

※エコーチェンバー:発信者・拡散者・界隈が相互に強化し合い、情報が偏りやすくなる現象。
情報が反響し、外部の声が遮断される。

「ほら被害者ぶる」
「今から『記事を消された消された』って騒ぐんでしょ」
「あなたみたいな人、迷惑なんですよ」
「嘘つき」「アタオカ」
「精神病」「メンヘラ」
「嘘も100回言えば真実に」
「トンボはEさんのもの」
「死ぬ死ぬ詐欺」
「本物はそんな事言わない」
「資料が全部お前のものだと思ってるのか?w」
「しつこいんだよ、黙れ」
「いつまで言ってるんですか。いい加減ムーブオンしてはどうですか」
「トラブル・メーカー」
「我田引水」
「驕れるもの久しからず」
「どこまで自信過剰」
「自分を過大評価しすぎ」
「信じちゃいけない人ですね」
「◯ね!」

この反響の結果、私に実際に向けられた言葉の一部を挙げます。

(いずれも記録に残しているもので、一部はネット上に今も公開されています)

(Eさん本人や信奉者から)


【図】SNSでの反応が発信者へ循環し、同じ意見が増幅される構造

「敵」となると、人は、酷い発言をするのね…

あの誤解や、その後の集団いじめが生まれた背景には、私たち一人ひとりの感情だけではなく、
「正義」や「物語」を信じたくなる、人間の思考構造そのものが潜んでいたのだと思います。

後半に続きます
→ 続編「物語が現実を凌駕する ― 界隈も飲み込まれた信仰構造」(10/24 7:00公開予定)