当ブログにお越しいただき、ありがとうございます。
当ブログの「秋津まなこ」と申します。
自己紹介とともに、まずお詫びの言葉を述べさせてください。
私・秋津は、以前「パウダー」というX(旧Twitter)アカウントを持っていました。
そして「はむ五郎」というアカウントも私です(ともに現在は存在しませんし、時期の重複もありません)
昨年・2023年、「はむ五郎」アカウントにおいて、Eブログ主さまおよび関係者の方々を悪し様に表現し、
関係者の皆様に多大な心痛とご迷惑をおかけしたことを心よりお詫びします。
また、界隈の皆様にも不快な思いと不信感を植え付ける行為となりましたことも併せてお詫びします。
SNS上では「放虫」というワードに反応し、他の方の情報であるにもかかわらず、放虫をしてはならないとの資料も含め私が過去に下書きをした記事であると勘違いをしてしまい、非常に不快を思いを与えてしまいました。
お詫びが遅くなりましたこともあわせ、こちらで謝罪いたします。
大変申し訳ございませんでした。
私は「秋津まなこ」及び「元トンボ博士のAさん」という形で、
Eブログさまにトンボやその皇居調査が行われる旨、過去のトンボ相調査について、赤坂御用地のトンボ、小笠原情報等を提供しており、
コシヒカリについてなど寄稿したものや一部追記されたものも含め、11本の記事として公開していただきました。
私が調べ下書きをし情報を提供したものが、ブログ主さまによる最終的な調査と筆により活きたものとなり、
多くの方に読んでいただけたことは、
ブログ主様がそれまで築き上げた文筆力と信頼の賜物であったと思います。
もし、当時私が自身で発信していたら、おそらく、多くの人に読まれることはおろか世に出せないものもあったでしょう。
Eブログさまのもとで発信できたこと、心から深く感謝の言葉を述べさせてください。
本当にありがとうございました。
また、心の助けとなってくださったお二方にも感謝とお詫びの言葉を述べさせてください。
私の混乱の渦に巻き込んでしまって本当に申し訳ありませんでした。
お二方のアドバイスが、すごく情にあふれ、そして正解であったと今はわかります。
当時の私には、それが理解できず、愚かな思考にはまってしまっていたと思います。
寄り添ってくださっていてありがとうございました。
冷静で的確な指摘や広い知識にも助けられていたこと、今となって気づきます。
すべて私の思い違いでした。
Eブログ主さまの熱意と調査・理解力は、界隈でもひと際群を抜いたものであることは周知の事実だと思います。
その熱意に邪なものは一切存在せぬことを、私は知っています。
力強く美しい筆と、まっすぐで折れぬ思いは、私が惹かれた部分でした。
その点に於いて、今でも尊敬の思いは変わりません。
仲間たちと共に意見を語り合っていた時は、懐かしく満たされたものでした。
ブログ主様達に抱いてしまった小さな負の感情は、やがて大きな感情のもつれとなり、至ったのがあの騒動です。
発端は私の不満であり、またそこから積み重なる双方の誤解や大きなすれ違いに至ったと、私はそう思っています。
縺れてかっちり固まった誤解を解き感情を修復する能力も、今それを表現する力も私は持っていません。
「将来の天皇だからと不正なやり方での東大進学は許されない。阻止してやりましょう」と、ともに抱いていた思いは、おそらく双方今も変わりませんが、思いの詰まった記事や関係は戻らぬ結果となりました。
当時はこんな状況になるとは微塵も想像しておらず、お詫びからのブログスタートとなることは自業自得ではありますが、悔恨の情が止めどなく溢れてきます。
すべて私の未熟さによるもので、この数か月、心から後悔しない日はありません。
しかし、時が戻ることはありません。
同じ過ちを犯さないよう、真摯に向き合っていきたいと考えています。
多大なご迷惑をおかけし、まことに申し訳ございませんでした。
秋津まなこ
上記とは別に、状況や経緯、このブログを立ち上げた思いを、以降述べさせていただきたいと考えております。
また、当ページは一定の経過を以て削除しますことをご了承ください。
確認はしておりませんが、11本の記事は現在、記事ごと、もしくは私が関わった一部の削除となっていると思われます。
削除となった記事は私の手で復活させるつもりですので、その理由についても述べていきます。
決して、当ブログ立ち上げは、Eブログさまへの妨害が目的ではありません。
以上は、ブログ開設時にアップし、2024年11月に非公開としていました。
再アップするにあたり、一切の改変を行っていません
これより以下は、2024/12/07に記したものとなります。
私は、本当にEさんを尊敬し、他のお二方についても親愛の情を持っていました。
今でもその気持は残っています。
しかし、赤トンボ先生事件は、四人が合流する以前に、私が一人、三ヶ月の時間をかけて調査していたものです。
こちらの記事にも書きましたが、元は他のYouTuberに送っていました。
そして、放置されたのです。
その時送った情報内容は以前ツイッターにも載せました(現在削除)
裁判にも当然言及しています。
そこから1ヶ月半、さらに調査は進めていたので、Eさんの元で最初に出していただいた記事は、調査のごく一部しか載せておりません。
その情報について、後に続いてくださる方がいて欲しいと思い、敢えて抑えたのです。
上記のお詫びで記した方々と4人で行ったのは、赤トンボ先生事件の「記事作成」です。
1人で行った調査内容を「共有した」のです。
「四人での調査」ではありませんし、他の二人と私の三人共同で情報提供したつもりはありません。
好悪感情からの否定ではなく、それだけ真剣に調査をしていたため、また事実と異なるためです。
※ あくまでも、Eさんブログ周辺においての話ですので、
世の中には私以上に調べている方はいらっしゃると思います。
皇居調査などについてもそうです。
共有チャットがありましたが、そこに私は情報を落としていました。
たとえば、港区の「昆虫を拠点地に集めよう」の戦略を見つけたときも、私がpdfをチャットに落として、「これで御用地にトンボが増えたとするのでは?悠仁さまの功績にするのではないかと思いますが、どうでしょうか」?といったふうに聞いていました。
そういった事実を、変えることについて対抗します。
「私・秋津が、元トンボ博士Aさんであったことを認めてほしい」の願いは、そもそも否定されました。
四人が揃って調査することもありましたが、一貫して四名が調査に参加していた事実は、記憶にも記録にもございません。
ですので、二名が全くチャットにも来ていない時期の記事まで、「四人で調査した記事」とは、私は考えておりません。
来られない二人を除いた、Eさんと私の二人のチャット空間で記事作成に向けて話し合い、公開されていきました。
私は「調査」と「記事作成」「個人的好悪感情」を分けて考えています。
二名について、こちらの記事の②③④⑤⑥⑦の記事の期間、調査にも記事作成にもほとんど、または全く関わっていないはずです。
少なくとも「調査全体」を100とすると10に達しているとは私は思いませんし、ニヶ月間以上は完全にチャットにも来ていませんでした。
作成に全て関わったのは①のみ。
⑨は混在するので微妙ですが、前半(と言っても当該記事は既にありませんが)事件についての情報は私です
(他の記事は私一人での寄稿)
しかし、三人の中で秋津1人のみを取り立てていたのに、四名のものだと理解しないから記事削除、とされるならば、私にも言い分はあります。
赤トンボ先生事件、及び、皇居調査、小笠原情報、トンボなど、 秋津・元トンボ博士Aさんとして私がEさんブログに提供した情報について。
・Eさんとその周辺の方のみの言い分のみを事実とし、情報源・調査者を変えているもの
・邪心をもって私からEさんに近づいた、ブログ開設をしたと事実としているもの
・削除は秋津の希望である、何度も削除と撤回を繰り返したとしているもの
それらについては私は事実ではないとしているので、確認の後、どなたが書き込み者であろうが、全て今後のために記録させていただいております。
当然ですが、すべての記事内容について、Eさんはただ纏めるだけではなく独自にも調査しています。
最初は私からの提供情報ではあっても、そこから精査をして自身の考えもきちんと持っていることも知っています。
その真摯で真っ直ぐな姿勢と力強い文章が、私は好きでした。
Eさんの調査で記した記事が、その話題は私が提供したから私のものだと言うつもりは一切ありません。
ただ、情報提供者は私です。最初に情報提供をしたのも私のはずです。
稚拙であろうが上だ下だではなく、この事実は変えてはいけないものだと私は思います。
そして、私の真剣さを、この界隈のどなたにも笑われる筋合いはありません。
曲解されて、界隈に広まっていることには、私も対抗いたします。
また、悠仁さまのトンボ論文発表後の、論文内容分析については、Eブログさんの記事には私は一切関わっていません。
それらは私ではありませんので、その功績を我が物に・・とは一切思っていません。
ただし、赤坂御用地は工事続きでトンボが増える環境だろうか?とは書いていました。
つまり、私が行っていたことは、悠仁さま論文発表前に行っていた「予想」「予測」です。
不正を未然に防止したい思いからでした。
私も真剣でした。
Eさんブログが支持されるということは、日本の未来、日本の皇室を真剣に考えている人が大勢居る証明だと、私は今でも思っています。
けれど、そのことと、私の記事が消えて無くなった、私が調査し下書きをしていた事実まで消えたことは別問題。
記事が消されたことを許容するのは難しいです。
私は逃げも隠れもしませんが、それぞれ別問題として、私も退くことはありません。
私は齟齬だと思っています。