「それってあなたの感想ですよね」とは、一部で論破王と評される某有名人の代名詞ですね。
個人的には、あまり好きな言葉ではない私でも、とうとう使わせていただきます。
それって男系男子にこだわる人達の感想・意見ですよね?

「悠仁さままでは揺るがせにしてはならない」
男系男子派が、壊れたレコードのように繰り返す、この言葉への思いです。
皇位継承は、今上陛下の後は皇位継承順通りに悠仁さままでは確定、と皇室典範に関わる有識者会議で結論を出しているのです。
お仲間で決めたことを、国の決定事項のようにメディア報道させてますけど、それは、戦時中の大本営発表と同じではないですか?
悠仁さまが、将来の天皇が確定しているのだと、勘違いさせられている国民が多いですね。
なにぶん、特に知識があるわけでもない秋津ですが、一国民として感想・意見を書いていこうと思います。
国連に反発
2024年10月29日、国連の女性差別撤廃委員会が、日本も締結している女性差別撤廃条約に基づき、皇位継承資格を男系男子だけに限定する日本の皇室典範を改正して男女平等を保障するようにと、日本政府に勧告(外部リンク)しました。
その勧告は、四度目となります。
それに対し、スイス・ジュネーブで開かれた日本の女性政策を審査する委員会にて。
非政府組織(NGO)関係者が「天皇は祭祀王だ。ローマ教皇やダライ・ラマ法王は男性なのに、国連は女性差別とはいわない。なぜ日本にだけそのように言うのか」と反論(外部リンク)したようですが…

ローマ教皇もダライ・ラマの後継者も選ばれる、選出。
「皇位は世襲」と日本国憲法でさだめた日本の天皇とは根本的に違うのでは?
選出に、女性の可能性が極端に低いことと、そもそも「女性は権利すら無い」ことには、大きな差があると、私は思いますね。
何故なら、後者は可能性がゼロなのですから。
また、秋篠宮さまは、祭祀は外注の意向と聞き及んでいます。
やる気も体力もないのでしょうか?
それとも、外注先とのwin-winなお約束でもあるのでしょうか?
それに、祭祀は女性でも出来ますよ。
しかしまあ、なんとも、小学生のような屁理屈ですね。
「あっちだって変だもん。どうして私にだけ言うのよ!」みたいな。
またこちらは日本政府の対抗措置。
国連の勧告に対抗という形で国連女性差別撤廃委員会を除外するよう伝達したと明かした。皇室典範を巡る記述の削除要請に応じなかったことへの抗議の意を改めて示した。(外部リンク)
これもまあ、なんとみみっちいことですね。
「それ、虐待ではないですか?」と指摘されたら、「何が虐待だ!取り消せ!うちの教育方針はうちで決めるんだから、文句つけるなら給食費払わん!」並の逆ギレのよう。
いや、わかりますよ。
「我が国のことは我が国で決める」というのは当然のこと。
仲良し倶楽部の会費だけ払わされて、微妙に阻害されている日本ですもの、僻みたくもなりますしね。わかります。
しかし、ならば何故、四度も勧告を受ける前に、日本国内で議論しなかったのでしょうか。
「我が国の根幹に関わる重要なこと」なんですよね?
何故、専門家でもない人達、一部のお仲間同士が密室で語り合って、「揺るがせにしてはならない」と繰り返しているだけなのですか?
何故、政治家の皆さんは、国会で議論しないのですか?
国民の8割から9割が「女性天皇を容認」としているのに、何故素晴らしい皇女・敬宮愛子さまがいらっしゃるのに、国民の意見を聞かないのですか?
日本は国民主権、民主主義の国のはずですが。何故密室で、事を進めるのでしょうか。

男系男子に限る皇室典範は「明治時代」に
皇室に興味のない方や若い世代は、代々の天皇はすべて男だったと思わされているかもしれませんね。
なにしろ、メディアは「天皇はずっと男で繋げてきた」と、喧伝してますものね。
しかし、江戸時代までは10代8名の女性天皇がいました。
43代・元明天皇から44代・元正天皇は母から娘、女性から女性への継承です
(とはいえ、元正天皇の父も皇子のため男系維持とするのが男系派の言い分)
女性天皇という存在は、間違いなく歴史上存在しました。
「男系の男子に限る」とは、明治22年(1889年)の皇室典範で定められました。
当時の皇室典範は、大日本帝国憲法と同時に制定され、共に最高法規でした。
戦後1947年5月2日まで存続しました。翌5月3日からは、日本国憲法の施行です。
明治とはどんな時代だったのか
異論が起こりやすいので、簡単に。
明治時代は、日本が近代国家へと変わった時代と言われます。
文明開化により西洋の文化が入り、政治・経済の基盤ができ、教育の普及、工業化が進んだ産業は日本の柱となります。
このあたりは、日本史の教科書にもでてきますね。
産業の革新とともに、軍事力強化が進められ、後に日清戦争、日露戦争、植民地支配へとつながります。
明治時代と言うと、軍国主義と思われる方も多いですよね。
身分制度はなくなり、士農工商から、国民皆平等の「平民」「日本国民」に。
義務教育の導入、学校制度により、武士や商人の子でなくても学問を受けられることになりました。
さて、女性はといえば、教育を受ける機会の向上や、産業の拡大から、外で働く女性も増えました。
しかし、それは社会進出とはまた違う、労働力とされる存在でした。
女性は、基本家庭の中で過ごすもの、何かのトップに立つような社会ではなく、選挙権も与えられませんでした。

江戸時代の身分制度がなくなり、西洋文化が取り入れられた明治時代。
明るい近代化、人々は真の自由の道かといえばそうとも言えず、日本独特の文化が花開いていた江戸時代のほうが「自由だった」と感じることは多いようです。
谷崎潤一郎の『刺青』は、江戸時代の自由な文化と、明治時代の抑圧的な社会状況の対比を、すごく美しい表現で書き出されています。
西洋の文化は取り入れられたのかもしれませんが、江戸時代の程よい「愚」さが喪われ、日本文化や人々の「心の自由」は抑圧されたのかもしれませんね。
個人的には、江戸は華やかで闊達、明治はお堅く沈鬱のイメージがあります。
大日本帝国憲法と明治時代の天皇
さて、文明開化により、天皇は国家の最高権威として復権しました。
西洋に倣い立憲君主制となったことから、天皇は国家の元首であり、国家の最高権力を持ったのです。
大日本帝国憲法の第1条には「大日本帝国は天皇の統治する国である」と記されています。
大日本帝国憲法 (国立国会図書館HPより)
立法は帝国議会が設置され、貴族院と衆議院の二院制。
議会は法律を制定する権限を持ちましたが、ここでも天皇の意向が強く反映される仕組みに。
国民は自由(居住・移転や信教の自由、言論・出版・集会・結社の自由)は認められ、一部の基本的人権が保障されましたが、納税や兵役の義務があります。
第3条では、いわゆる不敬罪についても定められています。
内閣総理大臣は天皇によって任命され、内閣は天皇の命で動きました。
明治における天皇とは、
- 大日本帝国を「統治」し(第1条大日本帝国ハ万世一系ノ天皇之ヲ統治ス)
- 軍隊の最高司令官「大元帥」する立場(第11条天皇ハ陸海軍ヲ統帥ス)
- 政治も天皇抜きには進まない。
天皇がトップオブトップ、明治時代は天皇の国と言っていいのでは?と思います。
象徴でありながら実権もすべて握っている状態ですね。
そして、富国強兵の錦の御旗の下、軍国主義を突き進みます。
明治天皇の肖像画は軍服姿です。

以下の記事でも書いたように、明治より以前は庶民は天皇のお顔を知ることはありませんでした。
全国の義務教育の現場に明治天皇の御真影が置かれ、それが天皇の神聖化と国への忠誠心を高めることとなっていったと、私は考えています。
戦後の日本国憲法と皇室典範
戦後の天皇とは
さて、日本国憲法(国立国会図書館HP)(1947年施行)における天皇の地位についてはいかがでしょうか。
何よりも先んじて、 「天皇は、日本国の象徴であり、日本国民統合の象徴である。」と明記。
天皇は国家の元首ではなく、「象徴」
第4条では「天皇は、国政に関する権能を有しない。」と定められており、政治的な権限を持たず、政府の方針や政策に関与しません。
国会の召集、内閣総理大臣の任命などの国事行為を行いますが、内閣の助言と承認に基きます。
つまり、内閣が天皇の行為を指導する形ですね。
天皇は国民との関係を重視し、国民の幸福や平和、安寧を願うお立場に。
天皇の行動や発言は、国民との結びつきを強調するものとなっています。
憲法において、天皇が権限を持たぬことが強調され、日本が民主主義国家であるとされていますね。
太平洋戦争の後、天皇はすべての権力を放棄する形となりました。
それは、いわゆる戦争責任からでしょう。
神と崇め、その神がすべての権力を持つことは、とても危ういものであるとわかります。

今上陛下、皇后雅子さま、敬宮愛子内親王殿下からは、権力の匂いを一切感じません。
国民とともに、国民に寄り添って、夫婦仲良く、家庭円満で飾らずニコニコ。
自然に微笑まれるお姿こそ、平和の象徴、国民統合の象徴と感じます。
国民に白手袋を叩きつけ、「👎️」こんなジェスチャーを公的の会見で行ってしまう、そんな方は象徴だと思いたくありません。
他人の論文を自分のものにしたり、裏口入学したり、我儘言って税金を浪費する人達もまっぴらごめんです。
明治と戦後の違い
明治時代 | 昭和・太平洋戦争後 | |
・憲法 | (1889) | (1947) |
・制定 | 欽定憲法(君主が制定) | 民定憲法(国民主権に基づく) |
・主権者 | 天皇 | 国民 |
・人権 | 法律によって制限される権利(臣民ノ権利) | 人が生まれながらに持つ権利としての基本的人権 |
・国民の義務 | 兵役の義務 | 勤労、納税、子どもに教育を受けさせる義務 |
・不敬罪 | 有り | 無し |
・皇位継承 | 男系の男子に限る | 男系の男子に限る |
・位置づけ | 大日本帝国憲法と並ぶ最高の成分法 | 日本国憲法の下位法 |
憲法における天皇の位置づけ | 象徴的な存在でありながらも、実際には強い政治的権限を持つ国家の中心。 絶対的な権威。 日本を統治、陸軍海軍の最高司令官。 最高権力を持つ。 | 「日本国の象徴」、国民統合の象徴。 政治的権限は一切持たず関与せず、 実質的な政治権力は政府に移行。 主権は「国民に存する」 国民が国家の最高権力を持つ。 |
男である必要があるのか
明治時代は、天皇が権力を持ち、軍のトップに立つことも自然なことだったのでしょう。
その立場が男が担うことも、当時の情勢からすれば自然だったと思います。
しかし、戦後日本は戦争の放棄を掲げています。
また、天皇は軍(自体もないが…)のトップでもありません。
日本の象徴、国民統合の象徴、平和の象徴、祭祀、他国との友好・親善、皇室ならではの外交を担うお立場に。
男である必要がどこにあるのでしょうか?
憲法で、天皇の役割・位置づけが大きく変わったのに、皇室典範のみ明治のままほぼ変わらず(婚外子は認められなくなった)
男系男子にこだわることは、未だ明治の富国強兵の夢から覚めていないように、私は感じます。
また、天皇は御簾の奥に鎮座し、表に、国民の前に姿を表さずにいた時代とは違います。
語学力、人間力、共感力を持つ方であってほしいです。
日本文化を愛し、日本の知識を持ち、海外の王族にも引けを取らないオーラを…
ハリボテの学歴やご優秀伝説は必要ありませんし、むしろズルの象徴として忌避したいです。
御簾の奥にお隠れあそばし、言葉は「オモテ」や長官を通じて、国民に伝えられるのはいかに優秀で素晴らしいかであることのみ、という時代に遡るのも受け入れがたいです。
憲法の下位法・現在の皇室典範

ジャパンナレッジLib HPより、皇室典範のスクショ
現行の皇室典範は、憲法の下にあり、国会議決によって変えることが出来ます。
これを知らず、明治時代に決めたことを、遥か大昔から「天皇は男子と決まっている」と思い込んでいる国民が多いのではないでしょうか。
皇室典範を変えられることは、上皇さまの生前退位で証明されています。
全て私の感想・意見ですよ?
男系男子派の方から、こんな意見が飛び出している。
「悠仁さまの後は、女性天皇も、女系天皇も認める」と。
それって…秋篠宮家に皇統を移すこと、それが本音なのではないですか?
実際は、神輿は軽い方が良い、いつまでも皇室利権に与りたい者たち、未来の日本は知らない(だって次の御代には、俺はもう居ないし)人達の無責任な「揺るがせにしてはならない」だと感じてしまうのですが。
ズル、不正、浪費、国民を踏みにじる行為・言動の数々。
「秋篠宮家に皇統が移るなら、もう皇室制度は終わったほうが良い」とまで言う国民が増えている時点で、もう日本の象徴ではないのでは?
どさくさに紛れ、小室圭氏が皇室入りか?
「男系の男子を限る」の変更、皇室典範の改正が、悠仁さまの後からでは意味がありません。
「小室圭氏が皇室に入り、眞子さんとの子が未来の天皇に‥」など、一時は荒唐無稽だと言われましたが、現実味を帯びてきたように感じます。
「旧宮家の皇籍復帰」「女性宮家」により、
「顔も知らん人が皇族だなんて…あ、小室夫妻にお子さんいるやん!」
なんて、恐ろしいことが起きないよう願わずにはいられません。
小室圭氏に、日本はどれほど投資しているのか。
皇室入りを考えているなら、昨今の優秀設定・デキる男報道が腑に落ちてしまうんですよね。
北の某国のようで、実に恐ろしい…

未来を明るいものとしたい
日本の未来を考えたら、今上陛下の意思を継ぐ敬宮愛子さましか考えられません。
しかし、現政権を見ていると、「天皇を元首に」「揺るがせにしてはならない」と、明治時代に遡ってしまうのではないかと、恐ろしくなります。
昭和生の私でも怖いのだから、20年後、平成や令和生まれの若者はどう思うのでしょうか。
未だ、天皇ですらない秋篠宮さまや悠仁さまが、権力を持っていない、権力を振るっていないと、何故思えるのでしょうか。
男系男子派と秋篠宮家は、未だ明治時代にいらっしゃるように…いや、目指されているのではないか、と私は感じます。
悠仁さまは、成年にまつわる儀式もせず、今最も時間があるだろうに成年会見もないまま…
報道規制をかけたまま、真のお姿を国民に見せぬまま、将来の天皇として決定づけてしまうのでしょうか。
国民主権のはずの日本で、国民の民意はまるで反映されず、議論すらされず、強行されてしまうのでしょうか。
このままでは、日本の未来は暗そうです。
秋津まなこ