続・「あきつのまなこ」ができるまで

秋津です。
前記事・「あきつのまなこ」ができるまでの続きです。
Eブログさんとのことをご存じない方は、なんのこっちゃ?ということが多いと思います。

個人的なことに興味のない方は、情報提供者の変化まで。

すれ違いと主張

元トンボ博士Aさん

Eブログ主様には私の調査も世に出していただけたことを本当に感謝していますし、主さんの調査力はすごいと実感しています。
ブログ主さんが調査の最終チェックをし、署名を入れ世に出す責はすごく重いもので、私はそれにライドオンさせていただきました。
本当に感謝しています。

しかし、前記事「あきつのまなこ」ができるまででも記したように、トンボや小笠原論文のあたり、悠仁さまのご優秀設定の怪に関わることについては、私もずっと調べていて、その情報を私は惜しみなく共有していました。

私が騒動を起こす前に元トンボ博士Aさんとしての記事の多くが消え、一時戻されはしたものの
今は記事のすべてが消えていると思います。
当時も秋津がトンボの記事に関わった記述はなく、元トンボ博士のAさんと名乗ることは最後まで叶いませんでした。

このブログを立てるにあたり、公表を望みましたが、そこでも軋轢が生じたのは事実です。

騒動アカウントは、メールが送れない時に(あちらの容量オーバー)連絡用に作ったもの。
騒動後、「お互い」すべて削除しましょうと約束したからこそ、私はアカウントごと消し、半年経っても残っているあちらのtweetに対して、そちらも消してくださいと求めたわけですが・・別の意図と思われたようです。


なお、元トンボ博士のAさんと名乗ったのは事情があり、私はそれにより守られていました。
寄稿で全くの別人を名乗っていた件も、同様です。
私に敵意が向けられることがないように。
元トンボ博士Aさんをはじめ、違う名を使っていたのは読者を欺くためではありませんし、当時は私も同意していました。
その思いに応えようと、元トンボ博士と称さることに恥ずかしくないように間違いがないようにと、トンボについて私が調べれば調べるほど、却って仇となってしまったように思います。


なぜ?消えた記事

昨年9月に、私の方から記事の削除を願い出たことがあります。
その3か月前にTwitterアカウント(パウダー)を消したのですが、猜疑心からなのか探りなのか「〇〇(界隈の有名youtuber)のところのリサーチャーはお前か?」「△△を信じるな。利用されているだけ」などのDMも、当時舞い込んでいました。
一切合切が面倒になって、アカウントごと消した時に想像よりはるかにスッキリしたのです。
(その後、Eさん達に呼ばれて界隈に戻り、⑧以降の記事に関わる)
記事を消せばTwitterアカウントと同じようにスッキリするのでは?と判断してしまいました。
プライベートのストレス、界隈の争いや人とのつながりにも疲れていたため、冷静ではなかったのです。


削除依頼メールを送った同日、その依頼を撤回するメールをしました。
撤回の理由は主に3つ。

  • 削除のメールを送った瞬間から後悔したこと
  • Eさんから「私にも著作権がある」と返信があったこと
  • カウンセリング(当時入院中)や診察でも、今は大きな決断をしない方がいいとのアドバイス

記事はやはり作品のようなもので、共同で作ったものを私の一存で消してはいけないし、私も無くしたくないと思いが強く、また削除を申し出た際に、Eさんからも削除したくない様子を感じ取りました。
お互い削除は嫌なのだなと感じ、そして撤回して良かったと安堵したのです。
そのメールに対し、「思い留まって頂けて良かった。消す作業は一瞬だからよくお考えを」と返信がありました。

記事削除依頼→「私にも著作権が」→削除依頼撤回→       ↗ 
よくお考えを 
       ↘
秋津・削除依頼を撤回済
Eさん・続行中
緑文字はEブログ主さん

その時に、私は記事削除の依頼は無事撤回されたと判断しました。
「よくお考えを」とは、軽率な考え方を注意されたのだと。
その後、寄稿ページにコシヒカリの記事を載せて頂き、私は記事削除の話は頭から離れていました。
Eブログ主さんのなかでは、継続中だったようです。

こういった齟齬は、それまでも常に起きていたのかもしれません。

数か月の間、Eブログ主さんとは文字でしかやり取りをしたことがありません。
文字だけで思いを伝えることは本当に難しい。
特にメールは、一定時間、一方の言い分を言うだけ読むだけになるので、かなり早い段階でズレたことはわかっても、修正ポイントが見いだせず。
一度齟齬が生じれば、誤解を解こうと言葉を発するほど嵌る、まるでアリジゴクのよう。
ちなみに、人物もブログ管理に関しても知らされていませんし、頼まれてもいませんから、私が運営と思ったことは当然一度もありません。


おそらく10月末頃には元トンボ博士Aさんの記事は消えました。
※またはブログ主さんの情報のみに変更
私が騒動を起こす前です。

後に『美しきトンボをめぐる人の欲…すべての道は東大農学部に通ず?-それは自身の努力で切り拓いてこそ』の前編・後編二本のみが戻されていました。

私が記事を削除してとEブログさまに伝えたのは一回きりです。
削除された後に、それらを調べることがいかに大変だったかを伝えていたことが、逆に、削除しろというメッセージとなっていたようで、どんどんボタンは掛け違えていき、すべてが瓦解しました。

最後の最後のメール、全ては私が悪いとのことでブロックされたことで、全ての終わりです。
過去混乱していたことは多々ありますが、最後のメールでは激怒どころか私は事務的に聞いておかねばならないことを質問していました。
それでも、私が激怒していると。
常にあった齟齬と相手への誤解と思い込みは、私だけではなくお互いに起きていたことで、初歩的で根本的なコミュニケーション不足、私は今でもそう思っています。
こちらの意図が伝わった上でのノーではなく、意図が伝わってない・違う点を挙げられノーということが続き、私のほうも十二分に疲れました。

記事の削除依頼は、啖呵切り(喧嘩売り)でも、記事を質にとって困らせてやろうという意図でもありませんでした。
そこに悪意は全くありません。
それまでの調査の末に出来上がった記事は、私にとってもかけがえのない、とてもとても大事なもの。
ただ、それまで調査の原動力となった私の思いと、Eブログ主さんとのそれにズレを感じ、その問いに答えてももらえず混乱していたのです。
トラブルメーカーであることは、言われるまでもなく、当時から自覚していました。
当時、母の意識不明、兄の大けが、親族との相続問題、悪い方悪い方に思考が進んでいたのは事実で、8月末に限界が来て精神科に任意入院。

私は、信頼していた別の方と個人間チャットで混乱する気持ちを吐露していましたが、その頃に発した内容が切り取られ、Eブログ主さんと共有されていたようです。
「〇〇さんたちから色々聞いていますよ」と。
そして、Eさんには、記事の削除依頼=Eブログへの喧嘩売りと捉えられました。

脳のキャパを超えたと感じました‥
今書いているこの記事も、上手くまとめられず申し訳ありません。



記事削除を言い出したこと、今も、後悔しない日は1日たりともありません。



情報提供者の変化

赤坂御用地・秋篠宮邸周辺は工事続き

これだけ御用地で工事続きなのに、「皇居調査で新種が増えた」などと言い出さないように

将来天皇になる身だからと、ズルしたり国民の席を一つ奪ったりしてまで作り上げられたご優秀さで東大に行くなんて不正はダメ!
研究の世界の踏み荒らすことになる。止めましょう。東大なら実力で。

との思いが、元トンボ博士Aさんとブログ主さんとの共通のものであり、常にそう語っていました。
前記事表1③の記事作成の前に、相当話し合いました。
※メールも残っておりますが、貼ることができませんので、証拠には全くなりませんがチャット欄に私が書いたものを以下に記します。
2023年3月(トンボ論文よりも前)です。

赤坂御用地のトンボ類という国立科博報が書かれたのが2005年、悠仁さまが生まれたのが2006年。
2019年の秋篠宮さまの誕生日に、数年前に新種発見だと発言する。
いわゆる新種ではなく、これまで御用地では発見されていなかった種という意味でしょうね。
数年にたった数日、しかも黄昏飛翔の時間は除くという過去の調査では、見落とされていた種があるのではないか。
それらを、そこに住んでいる者の「新種発見」という実績となるのでしょうか。
誕生日映像、父子で干上がった水路を指差し話してましたね。
水路を復活させるのではないか。
御用地内にビオトープを作るかもしれませんが、あそこは全体が天然のビオトープですし。
田んぼのための御用地の水環境はどうなっているのか、土壌も気になります。
トンボ、田んぼ、ビオトープは、里地里山環境問題にも関わるし、それぞれ密接で切り離せません。
将来的にも、テーマは環境保全でいけるかと。

御仮寓所の工事着工が2017年1月、住み始めたのが2019年3月、新邸着工が2020年3月。
仮寓所の工事中にトンボのモニタリング調査?
田んぼまで作って工事工事、ずっと工事なのに。
音も振動もあり、人の出入りもあって土壌の入れ替えも起きるはずです。
「自然に」トンボが増える環境とは思えませんが、増えるのでしょうね。

こんな感じで進め、③からの記事につながっていきました。

私は後に暴くのではなく、東大への入学のために研究の世界を根底から掻き回す行為を、事前に止めたかった
同じ思いだと私は思っていたけれど…
敢えて某コンクールの締め切り1週間前に合わせて記事公開してもらったことも。

これで混乱したら、ブログに目を通している可能性高いですね、と→結果…締め切り延長


提供者の変化で、事実も変わる?

③の記事では、工事続きであり生態系に影響を及ぼすのでは?と記述しましたし、その記事は最低でも半年は公開されていました。

しかし、騒動のすぐ後に、別の方からの新情報として工事続きで‥と別の記事となっていました。

綺麗さっぱり、私からの情報は消えており、同時に以下のように変化したと感じています。

  • 皇居調査→論文→大学入学の実績作りを予測し、未然に止めようとしていた
  • 国民にバレながらも敢行してきた

  • 論文発表後に論文の杜撰さが国民にバレた


私はこの両者の差はすごく大きいものだと考えています。
なぜなら、前者には、秋篠宮家にとっては国民の意見や思いなどお構いなし、ズルがバレようが敢行する、諫言を述べられる者がいない、そのような状況にあることがわかるからです。
それこそが秋篠宮家が批判される本質であり、国の象徴として敬愛できない点だと、私は感じ
ます。

これら、事実が変化していることを、私が知ったのは騒動から3か月半も後のことです。
やっと病気が落ち着き退院に向けての一時帰宅し、「私もブログを立てたい。Aさんだと明かしたい」とEブログ主さんに連絡を取った際、話の流れから久しぶりにブログを拝見した時のことです。


トンボでくる、皇居調査→論文に便乗してくるよと、元トンボ博士Aさんの予測は的中しましたが、それでも敢行してしてきた「秋篠宮家のご優秀設定」はいつまで続くのでしょうか。
国民は将来の天皇に、そのようなご優秀さを求めていないことに、いつお気づき頂けるのでしょうか。
強行する真意とは‥
私はそこを考察したい。
隠していたAさんを名乗ってでも、皇居調査に便乗しトンボ論文で来ることはバレていたとの事実(記事)を残しておきたかった。
だからこそ記事を残してほしいとこだわった(けど全て消えました…)
この「あきつのまなこ」ができるまでの記事を書いた理由です。


過去アーカイブを見られる場所には残っていて、現在でも消えた記事を読むことは可能です。
Aさんのインタビュー記事は、当時はあくまでも予想でしかなく、当時どのyoutuberも後追い動画はありませんでした。
しかし、動画や過去アーカイブを読まずとも、読んだ方々の記憶にうっすらとでも残っているのではないでしょうか。
けれど、「この情報、以前このブログで読んだことがあるけど、新情報?」とならなかったであろうこと、それこそが、私が過去疲れ果ててしまったこの界隈独特の空気だと感じています。

イメージ画像(AI生成)
白い羊も、いつ黒い羊になるかわからない

しかし、黒い羊とされた側も、白い羊と同じ思いでいます。
次でラストです。

秋津まなこ