「赤とんぼ先生殺人事件」裁判考察を始めます

【 当記事は、シリーズ記事への橋渡しです。以降の記事に入る前に、目的とスタンスを記します】

「赤とんぼ先生殺人事件」考察記事の目的

刑事裁判の判決を擁護するためではなく、制度がどう作用したのかを書きます。
私の思いは書きますが、判決内容の否定のためにも書きません。


 この記事シリーズでやること・やらないこと

やる :事実・解釈・推測を分けて書く
やらない:推測を事実のように接続しない
     推測は推測として明示する

私がこの裁判について書く理由

私がこの裁判について書くのは、以下の理由からです。 

1.刑事裁判と民事裁判では、明確な違いがあり、判決が同じ結果、そして割れることは「あり得る」こと 

その「あり得方」を整理したい。

2.特定の人物からの圧力があったという、巷説への違和感 

皇室系界隈において常態化している、自説に都合のよい情報だけを取り上げ(チェリーピック)、
論を積み上げることへの反論を試みます。

圧力の有無を推測するのであれば、根拠の提示、または「圧力さえなければ異なる判決となった」との証明(検証)が必要だと考えています。
「判決」だけでなく、「控訴しなかった理由」の、最たる要因を検証したかどうかも同様です。

 3.「死人に口なし」で進行する刑事裁判の非情さと、民意が反映されない制度への思い

とても厳しい現実ですが、刑事裁判は被害者のための制度ではありません。
市民感情を取り入れると銘打ち、裁判員裁判が取り入れられようが、被害者参加制度ができようが、私は変わっていないと感じています。
むしろ、残酷さが増した感すらあります。
その残酷さと、当事件における裁判でどう作用したかを、記します。


推測が事実になる流れ

これらは、これまでの「物語」とは違う視点で記すため、皇室系界隈の人からは受け入れ難いものかもしれません。

しかし、たとえば

「なぜ検察は控訴をしないのか」
「民事では殺人。刑事裁判ではなぜ?」
「きっと圧力があったからだ」

という強引な手法は、センセーショナルな推測が事実として固定されやすいのです。

さらにそれを前提として、次の推測が組み立てられる。

伝言ゲームのように人から人に伝わり、「推測」が「事実」となり、なにが真実かわからなくなっていく…

果たしてそれは、「事実を基にした」と言えるのでしょうか。

たとえ、一次情報を出しても、途中で論が飛躍したり反証の可能性を無視したりしては、論理的とは言えないと思います。


正確さの度合い段階

  1. 「〇〇の可能性がないとは言えない」(根拠不足ではあるが、完全否定もできない)
  2. 「可能性がある」(状況からは否定できない・あり得る)
  3. 「可能性が高い」(複数の証拠有り・証明可だが反証の可能性も残る)
  4. 「〇〇に違いない」(反証が見当たらない・ほぼ確実)
  5. 「事実」(一次情報・公式情報で裏が取れている)


    1~5には差があるはずですが、全て同じように語られていることも
    危惧しています。

 「事実化」していく流れ

「圧力の可能性がないとは言えない」
        ↓    推測
「圧力があった可能性が高い」
        ↓    推測
「きっと圧力があったんだ」
          ↓   ほぼ断定
「だからあんな判決に」
             因果・評価

(いつの間にか)「事実として確定したもの」になっていく

それを前提に、新たな推測が積まれる


拡散するうちに、まぎれもない
「事実」のように強化されていく


このような状態は…私は良いとは思いません。

ここで言っているのは、特定の人物への批判ではなく、推論の積み上げ方の問題です。

あらゆる話題で、よく似たことが起こっていると感じています。


反証可能性の提示無しでの強引な論の組み立ては、ナラティブ(物語)になりやすい。
界隈全体がそう見られかねません。

発信→即「事実として拡散」されるなど、影響力のある発信者ほど、気をつけるべきかと思いますが、少なくとも私には、共有されているようには見えません。

界隈のその姿勢は、全体が非論理的な陰謀論と一括りにされかねず、だからこそ「反対意見」は、界隈内から上がっても不思議ではないと思います。

むしろ、そのような反対意見を「アキシン」「妨害者」とラベリングする反応も見られ、それが界隈内の議論を止め、「分断」と「風通しの悪さ」、そして「先鋭化」を助長してるように感じています。


のスタンス

私は、刑事事件の判決に納得しているわけではありません。

ただ、制度上はこうなるという考察を書きます。

皆さんに、「納得しろ」という話でもありません。

「私の考察が正しい」という意味でもありません。

また、ご遺族のお気持ちを推し量ることは、私にはできません。
だからこそ、当事者…被害者とご遺族の尊厳が置き去りにされ得る、制度の問題として書きます。



次回予告

当記事は、

福井大学准教授教え子殺害事件(赤とんぼ先生殺人事件)について、そして裁判員裁判についてのシリーズ記事への橋渡しとなります。

次の記事では、事件の概要から入ります。