秋津です。
前々記事・「あきつのまなこ」ができるまで、前記事・「続・秋津のまなこ」ができるまでの続きです。
Eブログさんとのことをご存じない方は、なんのこっちゃ?ということが多いと思います。
ラストは、皆さんから起こるであろう疑問について、お答えしていきます。
すごく長いので、各見出しに飛んでください。
- 署名や情報提供者の明示にこだわった理由
- 界隈で起きるエコーチェンバー現象は全体の問題
- 赤とんぼ先生の事件の調査と、その情報はとある配信者に放置されていた
- 秋津まなこの名の由来
- 秋津がブログを始めた理由(病気)
- 赤とんぼ先生事件の被害者への思い、悠仁さまと勝山市の子供たち
- Eさんへ(私信)
- 余談・悠仁さまのトンボ論文について(ピーな話)
こだわったこと
署名
「あきつのまなこ」ができるまででも述べたように、元トンボ博士Aさんが私であることは、隠したままでいたいことでした。
しかし、病気の判明で先の人生が見えなくなってしまい、今後新たに調査やブログ活動はできないと感じていた中で、これまで自分が頑張ってきた記事の中に痕跡を残したいという思いが強くありました。
しかし、本心では自分の過去の調査で得たものを自分でも書きたいという、相反した思いで揺れていたのです。
記事署名に私の名が併記されれば、EさんとともにAさんの話を聞いて記事作成に参加したことになります。
そうすれば、私・秋津がAさんであることを隠したまま、AさんEさんと同等の情報を持ち、今後「あの時調べたことが」と記事を書いても不思議ではないと考えました。
私がブログを始める・始められない、どちらであっても秋津まなこの署名があれば報われる、そう感じていました。
実際、元トンボ博士Aさんとして下書きを書いたのは私です。
記事に私の署名も併記してほしい、私が調べたという事実を残してほしいとこだわった理由です。
私がEブログの運営だと思ったことは、一度もありません。
ただ、私はこの界隈で頑張るEブログ主さんの一助となるために、個人で調査していました。
人として信用してたからでもありますし、それが界隈のため、秋篠宮家の「立場をフルに活かした自由過ぎる行動」を止めることにつながると思っていたから。
そして、その情報はいつか自分も使って発信して良いものだと思っていたので‥
情報提供者の明記
騒動の時に、私は情報提供者の明記にもこだわりました。
理由としては
- 責任を持った情報提供
- 類似した情報の混同を避けるため
- 情報提供者の権利を守るため
一つのテーマで、情報者が混在している状態では、誤った情報が含まれていると、全体の信用が損なってしまうことがあります。
この問題は、そのブログだけでなく、界隈全体の信頼性にも影響を与えると思っていました。
最終的には、情報を発信する人が責任を持つのは当然ですが、誰がその情報を提供したのかを明確にすることが、他の情報提供者を守ることにもつながると私は考えていたのです。
それは「名無しの権兵衛さん」的なHNで十分で、個人情報を明確にする必要は全くありません。
情報提供者を守るためにそれぞれを分離しておいてはどうかとする私は、黒い羊を排除し情報提供者であった事実までをも変えることが、白い羊を守ることとは思いません。
これは〇〇さんからの情報、それは△△さんからのものといったように、元々分離しておけばそんな問題すら起きないからです。
運営気取りで口を出しているのではなく、私が、そして私の記事が排除されたから述べました。
黒い羊も、情報提供者であり同じ仲間だったはずです。
情報提供者同士で、「あの情報は間違っているのでは?」と思っても、なかなか言い出せません。
たとえば、私・元トンボ博士Aさんの情報が間違っている場合、間違えたのは私と発信者のみで、他のトンボ情報提供者の信頼が守られると思うからです。
また、せっかく知識や情報を持っている人は大勢いて情報が一つの場所に集まっているのに、そこで議論されるわけではなく導き出される答えが一つだけになることに、常に疑問を感じていました。
それは、一見すると皆が協力しているように見えますが、実際には意見が偏っているとも言えます。
この件と次の見出しの件については、私と同意見の方が結構いることも耳に入っていました。
Eさん。
「そんなことを言うのはあなただけ」ではありません。
思う人は遠目から見ているか、言い出さずそっと離れているか、まだ気づいていないだけかもしれません。
あなたが、当時既に界隈全体の流れを左右する大きな「船」となっていたからこそ、私は一情報提供者としてあなたに考えてほしいことでした。
しかし、それで不快にさせ、振り回して楽しんでると思わせてしまったことは、私の未熟さのせいです。
大変申し訳ありませんでした。
エコーチェンバー
同じ資料を読んでも、事実を提示されても、感じ方や意見は人それぞれです。
私は、さまざまな意見を出し合って議論することが活発で健全な場だと思っていました。
しかし、Eブログさん、つまりEさんが考察を発信すると、それが界隈では「正しい答え」とされ、YouTuberたちがそれに「後追い」して「事実」としてSNSで広まっていくことが現状だと、私には見えていました。
その盛り上がりの様子が、海外発で「日本にはこんな意見もある」と紹介されると、「海外は日本の事実を自由に報道している=やはり事実なんだ!」とさらに注目され、個人の考察が最終的には事実として定着してしまいます。
それをまたAIが拾い・・ということになるかもしれません。
もちろん事実の可能性もありますが、その証明はされませんから思い込みは危険だと思います。
典型的なエコーチェンバーに嵌っていると思っています。
「事実」「考察」「意見」「もしかしたらの話」は明確に分けられるべきと思っていますが、押せ押せの勢いになっている界隈のこの現状は良くないと感じる日々でした。
これはEさんが悪いわけではありません。
Eさん個人の意見や考察を述べているにすぎませんし、意図的に起こしているものではないことを私は知っています。
Eさんの熱意に邪なものはありません。
これは、界隈全体が有名な発信者の言葉を、ありがたやとばかりに一方的に受け入れる状況の弊害ではないでしょうか。
また、事実よりも、そうであってほしい願望を発信してくれる発信者が好まれるようにも感じます。
この界隈には絶対的な存在がいて、私も以前は妄信していました。
その人が発する言葉は圧倒的に正しく、間違いなど無く正義なのだと、視聴者はありがたく受け入れる。
調べれば瞬時に誤りだとわかること、少し考えれば矛盾だらけだと気づくことも、正しいことなのだと。
それが、同じゴールを目指すはずの仲間に対しての攻撃の言葉であろうと。
まるで教祖と信者の関係のようです。
そして、そのことに対する反論や別の意見は受け入れられず、コメントは削除され、発信者たちはより強い者の意見を恐れて、無難な追従をしているように。
それでも、自分の考えを述べた人には厳しい批判が向けられ、時には「妨害工作者」っして「アキシン」とレッテルを貼られることも目にします。
意図的にエコーチェンバーを起こし、反対する者は吊し上げる。
そのやり方は、いわゆるカルトと言えるのではないでしょうか。
自由で活発な意見や議論は存在せず、健全とは言い難い状況ではないのではないかと、一度考えてほしいです。
これについては、あなたの愛子天皇への航路 船頭とワイワイ楽しく山に上るのか、苦しくとも皆で漕ぎ正しき大海を目指すのか (未復活)を書いた頃には明確に感じていました。
そして、最近の発信者同士、その発信者を支持する方達同士の争いで、さらに強く感じます。
情報提供者となるまで
界隈の多くの方と同様、私は皇室に好意を持ち、また日本に必要な存在だと思っています。
しかし、眞子さまと小室圭氏との結婚を契機に、秋篠宮家のふるまいはおかしのではないか?
皇室特権をフルに使っているのではないかとの疑念を持ち、パウダーという名のアカウントで当時ツイッターで意見を述べていました。
赤とんぼ先生事件
赤とんぼ先生と呼ばれた前園泰徳氏と秋篠宮殿下に接点があったことについて、一部ネット上に残っていました。
私もそれを目にしましたが、2022年7月の時点で具体的な証拠を挙げているものはありませんでした。
ならば、私はしっかりと調査を行い、証拠を揃えたうえで、ある皇室系YouTuberにその情報を送ることしたのです。
事件が起きた地の県民として、裁判の経過や結果などに強烈な違和感が残った事件であり、また、秋篠宮家の皇族としての振る舞いにおかしなものを感じていたからです。
何かあったのかなかったのか、個人的に知りたい好奇心だったかもしれません。
調査
前園氏が勝山市で活動していたことから、当時の広報誌を順に確認したところ、彼が担当していたコラムが残っていました。
そのため、「接点がある」という証拠をすぐに見つけることができました。
以下平成25年9月号(706号)(外部リンク)のコラムにて【私が滞在中に(秋篠宮さまを)案内】の記述あり。
このコラムの筆者がアテンド者とわかります。
このエコライフコラムの著者が誰であるか、連載に目を通しても署名などが消されており、わかる部分はありません。
平成23年5月号(678号)の編集後記(外部リンク)には、前園氏がなんらかのコラムなどを担当する旨記載がありました。
また、この号の表紙は画像なし、最終ページはpdfから削除されていたため、ここに当時は前園氏の紹介があり、後に編集で削除されたとのではないかと仮定しました。
環境やトンボを取り上げ、赤とんぼが夏に高地で過ごす検証や、菅原みわさんがマークの付いた赤とんぼを発見といった内容も鑑み、前述の案内した旨のコラムを担当したのは前園氏であると判断しました。
これらを証拠として、市や県の広報、新聞を中心に2か月間さらなる調査(ひたすら公的な資料などの読み込みと話を聞く)を進め、予定通りのyoutubereに情報をメールしたのは2022年10月のことです。
情報の放置から
しかし、数日1週間2週間、1か月とたっても、返信も配信も何の音沙汰もなく、時だけが過ぎ、私はパウダーアカウントにて1人、事件のことを仄めかして呟く日々でした。
徐々に赤とんぼ先生のことを話す界隈の人もポツポツ増えました。
さて、この赤とんぼ事件について、最も利を得たのはどなたでしょうか?
私はなんら残すこともできませんでした
(もちろん私は金は要りません)
秋津まなこ
一人でTwitterで呟いていたところ、ある方に声を掛けられ、Eブログの方を紹介されました。
さらにもう1名の方を加え、4名でチャット空間を作り、赤とんぼ先生についての記事を練り上げていきました。
その際、真剣に話を聞いてくださるEさんの姿勢や情報理解の速さ、熱意に惹かれ、一気にファンになったことはとても心地よい思い出です。
調べたことの大半は、プライバシーに触れるため記事として書ける内容ではなく、支障のない部分、事実のみに焦点を当てて調査の一割程度を以て記事になりました。
「あきつのまなこ」ができるまでの ①の記事
その際、知的な人物としてのイメージを持たせるために、私が下書きした言葉遣いを改めていただき、秋津まなこのキャラクターが出来上がったのです。
「秋津まなこ」という名前は、3万個の複眼で見逃さないトンボの目を思って名付けました。
他の人が見落としても、別の誰か、複眼の一つが捉えればそれで良し、秋篠宮家の怪しい動きを皆で捉えていこうという思いを込めたのです。
ブログを始めるときは、この名前で…と決めていました。
なぜ今頃ブログを?
本記事を書く理由
- 今後私がこのブログを書く上で、嘘や妄想、他のブログの情報に便乗したと思われないために
- 特定のブログや配信者への攻撃が目的ではない
- これまでの備忘録
- 悠仁さまの皇居調査でトンボ論文でくることは、論文が発表される前から国民に予測され公開されていたという事実を残すため
病気の落ち着き
- タイミングが今なのは、ようやく病気が落ち着いてきたから
- 身内が相次いで事故に遭うなどのストレスからか胃痛と過呼吸が収まらなくなり、自分の意志において任意入院していた
後の騒動の際に、この頃の事故が原因で母が亡くなりました。
とても悔いの残る言い争いをしたままだったので、
母の死は私自身の病気と共に「嘘」であったらいいのにと、誰よりも私自身が思ってます。
入院当初は身体症状が強く、パニック発作かもしれないという程度でしたが、うつ症状が強くなり抗うつ剤を増やしていく段階で躁転。
騒動の少し前に双極性障害(二型)であることがわかりました。
一時退院で調整し、たまに不安定になりながらも日常生活を整え退院、仕事にも少し復帰。
動ける状態になったのが6月の中頃です。
それまで双極性障害は、一生治らない、早死にをするというイメージしかなく、病名を告げられた時は自分の人生は終わりだと本気で思っていました。
そして記事が消えていたことは、やはり納得できず。
騒動時、とるべき対処は、スマホを病院側に完全に預けてしまう(身から離す)ことだったと今はわかりますが、社会から切り離されるのが恐ろしく、むしろスマホに縋ってしまったのがミスでした。
当時は、躁と鬱のバランスが崩れた混合状態で、皆さんを巻き込み振り回し騒動によって深く傷つけてしまったことについては、本当にお詫びのしようもありません。
すべて私の責任です。
申し訳ございませんでした。
病気については隠しておくべきだという意見も頂きました。
しかし、Eさんだと思われていた時にはその調査力が褒め称えられた情報が、妄想が生じるという誤解が広がっている病気(調査時には未発症)の者が調べていましたとなった際、その評価はどのように変わるのか知りたくなりました。
公表は「黒い羊」となった者の意地です。
病気ではないのに、私よりも妄想がひどい人はたくさんいらっしゃいますし、特に恥ずかしいことではないと判断しました。
黒い羊効果は、その集団への帰属意識や愛着が強い人たちが多いと生じやすい
事件の被害者と自分を重ねた
秋津まなこの原点は赤とんぼ先生殺人事件についてです。
一時退院していたころ、とある博物館に出かけました。
事件の被害者である菅原みわさんの命日前日でしたので、博物館の近く、現場となった場所に寄ると、
既に私より先にいくつも花が供えられていて、間違いなく彼女はこの地で生活をしていたんだなと実感しました。
生まれ故郷でもない、元々縁のない地方の寂しい場所(車内)で、未来ある若い女性が何故命を奪われたのか。
週刊誌の報道や裁判から、菅原さんのことは下世話なことのみで語られていましたが、私が調べて感じた彼女の人物像は大きく異なっていました。
また、もし彼女が酷く言われるような状態であったなら、地域のコミュニティに受け入れられることは難しかったのではないかと思います。
事件当時、彼女は前園氏への愛情が冷めていたのではないかと、調査していた時にうっすら感じていました。
彼女が執着していたのは、トンボ研究の方だったのではないかと。
けれど、それまでの彼女の研究や功績は残されていない現実、その世界での彼女のとても弱い立場、前園氏に残る情、身動きが取れずもうどうにもならない状況が、ただただ苦しかったのではないかと。
これは先述のコラムを通しで読んだ、私の推測でしかありません。
全く次元の違う話ではありますが、記事やそれまでの調査への思い、相手にそれを否定される気持ちや、事情の知らない人にやいのやいの言われる私の悔しさを、彼女と重ねてしまいました。
そして、改めて私の言葉で書きたいと思ったのです。
ただし、この事件について調べたことの大半は表に出せるようなものではなく、すごく不可解な終わり方をしたとはいえ全てが終わった事件ですので、あくまでも単なる私個人の考察となります。
悠仁さまと勝山の子供たち
この事件は、悠仁さまと同世代である勝山市の子供たちも、当時トンボの学習研究の機会を奪われる形となっています。
もちろん、悠仁さまにその責任は微塵もありません。
しかし、私が読み込んだ資料の中の勝山市の子供たちと、赤坂御用地に住み国立科学博物館の職員を含む、日本の研究者及びその研究をも「手中に可能な」立場の「将来の天皇」とを、どうしても比較してしまいます。
悠仁さまは、勝山市で出会った子供たちを覚えていらっしゃいますか?
彼らの思いを慮ったことはありますか?
その気持ちこそが、東京大学卒の肩書ではなく、皇室を思う国民が天皇に求めてやまないものだとお気づきでしょうか。
トンボ論文を成果として、東大に入学するのはおやめください。
一般入試を受けて入学してください。
正々堂々実力勝負なら、国民と戦っても受け入れられます。
特別なルートを作りだし、しかし、いかにも堂々と勝負したていでゴールしようとするから批判されるのではないでしょうか。
研究や調査、全ての成果は、皇族であろうと自身の力で得てください。
そこは国民と対等で、
国民は感情を持つ人間です。
自動的にAI生成されるのでもなく、誰かが人が国民が行っている様子を想像していただきたいと思います。
理解できるかできないかではなく、考えようとする姿勢、耳を傾ける姿勢を見せてください。
残された時間
自分に残された時間がどのくらいなのか、誰にもわかりません。
今日健康に活動されている方も、明日また健康で五体満足とは限りません。
双極性障害は残念ながら平均より短命、それは薬の副作用で負担がかかりやすいこともあるようですが、躁状態でのとても高い自殺既遂にあるようです。
現状服薬でコントロール(安定期)ができているとはいえ、正直怖いです。
また、母の死以降数か月の間に、私は身内を四人亡くしました。
そのうち一人は私よりはるかに若い年齢。
あまりにもアッサリ過ぎて、人はいつ人生を終えるのかわからないと改めて感じ、
生きているうちに、自分の思い、皇室への思い、日本への思いを発しておきたいと強く感じました。
騒動時にあれほどやらないと言っていたブログを、なぜ始める気になったのか、またなぜそれほど心変わりをしたのかと問われれば、その時は病気の影響で判断力が低下していたとしかお答えできません。
すべてを病気のせいにするつもりではありません。
しかし、何故変わったのかと理由を尋ねられたら、そうお答えするしかできないのです。
余談
とっくにお判りでしょうが、このしつこさと理屈っぽい性格だったからこそ、執念深く読んで調べていろんな情報を掴むことができました。
精魂込めた調査と記事が消えたこと、悔しくて悲しくて後悔の念に支配されてたまりません。
病気関係なく、時々こんな感じ↓なります
これもまた現実