それでも私は声を上げる

このブログを立ち上げて以降、お一人の方からメールを頂いていました。
「嘘つきはあなたでしょう。あなたが調べたという情報はEさんとEさんの読者の方々が突き止めたもの」という主旨で、その内容は‥なかなか過激なものでした。

ブログを立ち上げる前に想定していたことですが、私のことを、Eさんのブログ記事を自分の作品だという妄想に取りつかれた人物だと思ったようです。

何回もメールなどでやり取りをして、この度誤解が解けましたので、そのやり取りでの質問と返答を書いてみようと思います。
誠実な謝罪をいただきました後、この記事の了承とアドバイスを頂きました。

Kさんとのやりとり

その方(Kさんとします)は昨年の10月末から皇室の問題に気づき始め、その中でEさんのブログと出会い心酔したとのこと。
私と入れ違いのようなもので、私の過去のTwitterアカウント・「パウダー」も、「秋津まなこ」も、そして「元トンボ博士Aさん」のこともご存知ありませんでした。

内容

  • あなたはEさんの何だったんですか?
    • 情報提供者です。あちらのブログ運営には一切関わってないし、内情の話を聞いたことは一切ありません。
      ただ、個々のTwitter発言からわかることはありました。
  • Eさんを恨んでるんですか?
    • いいえ。私が嫌われているだけです。
      私は、私が様々なことを調べていた、その事実を返してほしいだけです。
      こうして、私が調べていたことを知らない人が大勢いるので。
  • 記事を書いていたんですか?
    • インタビュー記事の下書きです。トンボ博士Aさんとして答える部分はもちろん全て私です。
  • なら、あちらの質問に答えただけなのでは?
    • そもそも、私達が情報を提供する・ここが怪しいと話しながら調査を進めるチャット空間がありました。
      赤とんぼ先生事件を皮切りに、トンボ、小笠原(作文、環境、グリーンフラッシュ、人物についてなど)、ウスバキトンボなどを話し合いながら情報を提供していました。
      なので、あちらの質問についても私が提供した情報が元になってます。
      特に放虫や皇居調査のあたりは、私が集約させていた調査です。
      その事実を覆されたことに、納得はしていません。
      それについては「あきつのまなこができるまで」以降、数本の記事を読んでください。
      悠仁さま論文発表後の情報については、一切私は関わっていません。
  • Eさんは情報提供者を明記してますよ。
    • 私が公の場で指摘してから以降のことです。
      それまではインタビュー記事のみで、それ以外のことは私も他の方も仮名も載っていません。
      誰からどの情報があったのか、それを知るのはEさんただ一人。
  • 放虫のことは他の人が書いてましたよ。
    • そうですね。
      私は、さらにその8ヶ月前に、そのブログで書いています。
      悠仁さまのトンボ相論文発表前までは、公開
      されていました。
      私とEさんは、皇居調査に便乗して東大へ行こうとすることを「未然に止める」ことを目標に書いていました。
      そうしてEブログで記事化されれば、当然皆さんの意識は放虫や皇居調査に向き、色々調べることはあると思いますし、それを目的としているので良いことだと思います。
      そして、資料だけが使われ続けていたので、私の情報のみを消し動画化されたと勘違いしました。
      その勘違いについては申し訳なく思っていますし、それは別の方の情報ですから、とられた云々の部分ではありません。
  • 資料は誰が使おうと良いはずですよ?
    • もちろんです。
  • なら、なぜ怒る?
    • 問題は、その資料をEさんのブログで初めて使った私の記事が消えていることです。
      当時(23年3月)時点で、皇居調査に乗ってくるのでは?とEさんに情報提供していた人はいませんでした。
      Eさんも気づいていませんでしたし、他の発信者でも取り扱ってる人は居なかったと思います(私が存じ上げないだけでしたらすみません)
      どなたもそのあたりを調べていないときに、私は小笠原の環境問題からひたすらトンボの資料を読み漁り、まずモニタリング調査などでの「放虫」、そして過去の皇居調査では放虫疑いをかけられていないこと、進行形で皇居調査が行われていること、港区の政策など、仮説の点と点がつなげていきました。
      そして、Eさんにとっても、その資料は、後に「どこから持ってきたかわからない」と述べたほど、突発的に出てきたものだったようです。
      それらは、私が地道に資料を伝った末に見つけたもので、資料を使うのであれば記事も残してほしいと感じていました。
      後となっては、誰でも容易に見ることのできる資料ですが、ローラー作戦のように読み漁ることで見つけた、仮説の元となるものです。
      資料だけ使うっておかしくないですか?
      Eさんのブログで放虫や皇居調査を扱う事ができたことについて、私の痕跡を完全に消すことは道義に反すると思います。

      権利とか難しいことではなく、それが情報提供者への仕打ちなのでしょうか?と。
      また、「悠仁さまは皇居調査に乗って、それを実績として東大に進学するのでは?」と未然に予測していた、その事実も変わってしまいました。
  • でもあなたはEさんの悪口を言ったのだから、記事を消されても仕方ないのでは?
    • 記事が消えたのは、その前です。
      悠仁さまの皇居調査論文発表前、パネル展の時に「やはりきたか。これは大事だ」と思い、引用ツイートしようとしたら、記事がなくなっていることに気づきました。
  • 騒動の後、あなたの記事は残しますってEさんは言ってましたけど。
    • 「今ある記事は残します」でした。
      その前に既に消えていた(または編集)記事については、残っていません。
      あちらの嘘ではありませんが、私が関わった記事はすべて残っていると思う人が多くてもおかしくなはいとも思います。
  • あなたが消してと言ったんでしょ?
    • それを言ったのは23年9月の頭です。
      即日、数時間後に撤回しました。
      「消すのは一瞬だからよくお考えを」あちらがそう言ったのは、私の撤回後のことで、私はそれ以降削除依頼はしていません。

      何度も削除依頼を受けて振り回されたと述べているのは、あくまでもあちらの主張です。
      やり取りのメールデータも、私はすべて残してます。
      また、私は削除依頼撤回後にコシヒカリの記事も書き、削除騒動は終わったつもりでいました。
      記事が消えたのはその後、10月の終わりです。
  • 情報提供したのなら、「とられた」っておかしくないですか?
    • 当然ですが、掲載当時は情報をとられたなんて思ってません。本当に感謝していました。
      けれど、記事が消える(私の痕跡は消える)→資料だけ使われる→赤坂御用地が工事続きであることなど他の人からの新情報とする。
      この時点で「とられた」と感じることは、一般的な感覚ではないでしょうか

      もう私がどう言っても,Eさんが「全て自分のもの。ここはそういうブログ」と言う限り。
      資料も内容も、初出の記事が残っていないのですし、大半の人はEさんが気づいて取り扱った情報だと信じるのではないですか?
      そうやって、情報が情報を呼ぶブログスタイルの中、元となった私の痕跡だけを消すのはどうなの?という話
      です。
      私が調べていたと認めてくれるのは、私ともう一人の方だけです。
      ※Kさんも後に理解してくださった
  • ◯害予告したんでしょ?
    • 絶対にしてません!
      他の人との個人チャットで、混乱のチャットをしましたが、絶対にしていません。
      躁や混合状態になっても、記憶がなくなったり、有りもしない妄想が出たりする病気ではなく(ギンギンに自信満々な状態にはなりました)、全て覚えていますし、そのチャット欄はまだ残っています
      何より、この界隈の声を大きくするために、Eさんは必要な人だと理解しています。
  • あの時アカウントを消して逃げたじゃないですか
    • ツイッター上でのやり取りとは別にメールでも会話していました。
      「発言を消してください。こちらも全て消しますから」とあちらから言われました。
      当時入院中で副作用が出てきており細かい作業が困難になってきていたため、一つ一つ消すより、アカウントを消したほうが早いと思いアカごと削除
      しました。
      母が亡くなった直後でもあり、脳もまとまらず、一つ一つに反論不能と判断したためでもあります。
      アカウントごと削除については、あちらに報告しています。
      しかし、あちらはツイートを残していました。
      その事に気づいたのが、今年の5月です。
  • 話し合えば?
    このブログ開設前にも、病気も精神も落ち着いた状態で最後に冷静に話し合おうとしましたが、私が妨害目的、振り回すことを目的に接点を持とうとしてるとあちらは思っているため、無理でした。
    私の主張が【元々私はEさん達に騙されていた。あれらの記事は、私のものだから「著作権は私だ」】であると固執し、私はそれは誤解だと主張し、あちらは「誤解ではない、あなたが全部おかしい」と、意見が合いませんでした。
    Aさんは私であると認めてほしい、そうでないと詳細を書かなければならなくなる、できれば避けたいと述べたら却下。
    (ですので、このブログで数本の記事にしました)
    「お互い約束をしたのだからツイートを消してください。(要望として)記事は戻してください」と求めた(質問に答えた)際、「(その発言にて)あなたのブログ立ち上げは、当ブログへの妨害目的と判断しました」と、すべての記事の削除を宣言。
    「今更ブログっておかしいと思った」「色々聞いているんですよ」でブロック。
    落ち着いて質問しても「あなたはそうやって激怒して・・」と。
    ああ、ずっとそう思われていたんだなと理解し、全て終わっています。最後は意味不明なまま。
    病気が落ち着いてようやく私も書けると思ったら、記事も消され、他の人の情報になっていて・・
    そこに至るまでに、私の信用は毀損していたので、嫌われるブロックされることについては已む無しですが、記事の削除は納得していません。
    私的感情で記事が消えて他の方からの情報となる、個人ではなく情報提供者としての能力まで虚仮にしたのに、その調査の過程で結んだ資料や内容だけ使う、それがおかしいということです。
    それらは記事とセットです。
    あの記事たちは、私にとっては苦労して生み出した「子供」でした。


  • あなたがもう一度書けば?
    • そのネックになるのが著作権です。
      下書きをしたのが私でも、最終的にはあちらのブログであちらの署名で記事公開されていた過去があります。
      そして、あちらは私が書いたこと関わったことを絶対に認めていないし、記事も「そちらのお望みで削除しました」というスタンス。
      資料のみ使用され、記事の内容も、他の人からの新情報として記事化、動画化されてしまっている(実際情報提供もあったのでしょうが、ほんの一月前まで別の記事に載っていたというのに・・)
      私は、AIで、私の下書きをまとめることが限界。
      復活できないことぐらいはあちらも理解していると思います。
      感情一つで完全に消えてしまうこともあるから、記事に名前を載せてもらうこと、署名って大事なんです。
  • あなたが書いていた証拠はあるんですか?
    • (当時の記事掲載のデータをお送りする)→Kさんにようやく納得していただける

Kさんとは雨降って地固まる

一日に二度往復など、長いやり取りもありましたが、結局、当時の記事を見せることが一番でした。
Kさんはぶっちゃけ、相当過激ではありましたが、直接言ってきてくれたことで誤解は解け、むしろ理解してくださる事になったので、結果として良かったと思います。
Eさんのブログに惹かれるのは、皆さん、皇室の問題をどうにかしなければとまっすぐに考えてる証だと思うので、良いことだと思います。
けれど、その思いが「この人に反論してるのだから、攻撃していい敵」と転嫁するのは、やはり間違ってると思います。
これは、私がこのようなことになる前から、この界隈の強さを感じていました。
それはこちらの記事


最後に。
最も思われてるであろう質問

  • 「しつこくないですか?」
    • 自分にとって大事なこと、これは引いてはいけないと思うことは、しつこく言い続けるものではないですか?
      そして、それに対し「終わったこと」「いつまでもしつこい」「どうでもいい」と言うのならば、秋篠宮家の行状や、悠仁さまのトンボ相論文について、なぜみなさんは声を上げ続けるのですか?

      皆さん、「しつこく」「いつまでも」「科博の論文共著者」に対して声を上げてますよね?
      こんなこと許してはいけないと思うからですよね?わかりますよ。
      科博にシャットアウトされたら悔しいですよね?わかります。
      真剣に声を上げてるのに、誹謗中傷だデマだ楽しんでると言われたら悔しいですよね。わかります。
      皇室や研究に興味もない人にとっては「どうでもいい」「誹謗中傷している」「しつこい」「ストレス解消してるの?」なんです。
      アキシンからすれば、私達が怒ってることも「正義のためだから問題なし」
      「特別な人なんだから、誰かに論文書かせても別にいいんじゃないの?」なんです。
      んなわけあるか!って、声を上げますよね?

      私も悔しくても、悔しさを嘲笑されても声を上げてます。どちらにも。
      それでも諦めては終わりだと思って、声を上げる。
      みなさんにとってはどうでもいいことですが、私にとってはすごく大切なことだからです。
      また、労力はかかっても、理解してくれる人もいると信じて声を上げます。

過去記事
詳細はこちらに。

「あきつのまなこができるまで」
続・「あきつのまなこ」ができるまで
続続(ぞくぞく)っと「あきつのまなこ」ができるまで

また、Kさんと「秋篠宮家のふるまいにどんなに心騒いでも、仲間まで敵とみなして討ち倒すような、人の心だけは失わないように誓いましょう」と、話し合えたことはすごく心に染み入りました。
ニーチェの名言「深淵をのぞく時、深淵もまたこちらをのぞいているのだ」のように、良くない行いを追求していると、それを追う者も引きずり込まれてしまいがちですから。


また、当時の記事(調査)にお褒めと、心からの労いの言葉をいただけて、本当に嬉しかったです。
あれだけ調査してたのに、賛辞は全てあちらにのみ、結果私に向けられた言葉は否定と嘲笑、ボロクソでしたから。
というか、悠仁さまのトンボ相論文が出る前までは、多くの人が興味なかったんじゃないかなと思います。
おそらく、公開されていたときも、そんなに読まれていなかっただろうなと。
検証や調査に基づく仮説より、「新情報!」がお好きなんですよね、皆さん。
私が関わったことで言うと、赤とんぼ先生事件!あのTOTO助成金が!のような。

言っても、どうせわかってもらえないと、メールを無視しなくてよかった、そういう出来事でした。