「東大卒の天皇」それを得て失うもの それは二度と取り戻せないもの そして、国民は求めていないもの

世界最大のオンライン署名サイト「チェンジ・オルグ」にて、東京大学の卒業生や教職員が中心となり形成された、赤門ネットワークさんによる署名活動(外部リンク)が始まったようですね。

「悠仁様が東大の推薦入試を悪用し、将来の天皇として「特別扱い」で入学されることは、象徴天皇制を根底から揺るがすこととなるため反対します。」とのこと。

もちろん、私も同じ思いですから、署名しました。

詳細に関してはEブログからでしょう。

トンボ論文が発表される前の2023年3月末頃から、皇居調査で論文を出してくるだろうことは、元トンボ博士のAさんとして私が下書きした内容でEブログに公開されていました。
港区の環境ガイドは、小笠原からトンボについて、私が徹底的に全国の資料を読みこんだ末に見つけたものです。
そしてそこから過去の論文も調べて、悠仁さまは皇居調査で来るのではと、論文発表前に下書きとしてEブログに情報を渡しました。
それらの記事は論文発表前、世間の注目を集める前に、一言の連絡もなくほぼ非公開にされたのです。

私は元トンボ博士Aさんと名乗ることは許されず、Eさんには皇居調査を暴いた人だとして、さらに新たなトンボ情報が集まる。
今では完全に、論文発表後に、Eブログさんとその情報提供者のみで暴いたかのように既成事実化されて拡散されています。

私・秋津まなこがトンボや皇居調査の情報に関わっていた痕跡や、公開までされていたはずの情報は後に別の方からの「新情報」と変えられました。

それも決して許されるものではないと思っています。

ですので、とても複雑な気持ちになる署名詳細ではあります。


そう私が主張することを「情報なんて誰が暴いても同じ」と言う方も多いですが、それは誰かが必死で得てまとめたものです。

力のない者、主張が下手な者の主張はかき消される、それはどの世界も同じなのかもしれません。


なにより、悠仁さまのトンボ論文は、「国民に予測されていたにもかかわらず強行された」という事実も、「発表後に論文の杜撰さが暴かれた変わってしまったことも悔しいです。
今回の論文はともかく、今後も悠仁さまのトンボで使われるであろう研究者の気持ちを思いもあり署名しました。


以降、私・秋津まなこの意見となります。


悠仁さまが背負うもの

なぜこのような署名活動が起きるのかを、悠仁さまをどうしても東大に入学させたい人達に考えてほしい。
そして国民の意見を無視しての強行は、いつか必ず「良くない感情」として返ることを考えてほしい。
それを向けられるのは、他ならぬ悠仁さまであることも。
そして、それは国民から皇室への「好意的な感情」が薄れ、形骸化するということだと思う。
現段階で既に、「ズル仁」と呼ばれることになるのは、悠仁さまを大きく見せようとする周囲の大人の責任ですよ。
そして、もうすぐ悠仁さまは成年に、つまり、いつまでも他人のせいにできない大人となります。

一見して悠仁さまを盛り立てているような人達は、悠仁さまの将来に重い荷物を背負わせていることに気づいていますか?
それとも、悠仁さまの気持ちなどどうでもよく、むしろ皇室の形骸化を望む人たちなのでしょうか。

国民は天皇陛下のお顔を知らない、声は聞いたことがない、当然人柄も知らない、もうそんな時代ではないです。
御簾を挟んで、お言葉を戴く時代はとうに過ぎました。


それでもやるの?ご優秀伝説

私は赤とんぼ事件のことを調べたことをきっかけに、トンボを中心に様々なことを調べてきました
特に、北九州市子どもノンフィクション文学賞で佳作をとった作文内容、そしてその選考の怪(いつか書きます)、そこに剽窃(パクリ)表現があったこと(宮内庁は、参考文献の引用漏れとしている)
その内容から小笠原を調べ、トンボも調べ、その過程で皇居調査に気づきました。
そして、この皇居調査に乗り、トンボもしくはビオトープ、環境系の論文を出すのではないかと追っていました。

経緯は、上記三本の記事に書きました。
Eブログにて下書きしたインタビュー記事の再現(復活)には、そのまま載せることはできないので時間がかかります。

元トンボ博士のAさんとして、インタビュー記事を数本下書きしたものはすべて消えてしまいましたが、2023年3月末には既に公開されていました。
私のような弱小ブログではなく、界隈で誰もが知る有名ブログにて、23年10月末ごろ削除されるまでの7か月間公開されていたわけです。

ビオトープコンクールについてAさんが書いたものは、敢えて締め切りの一週間前に公開してもらったものです。
悠仁さまを「ご優秀な将来の天皇」としたい方々に、そのブログは注視されていると感じたため、何か動きかあるのかどうか、悠仁さまがそれに乗るなら、未然に止めることができるのではないかと。
結果、締め切りは延長されましたが、あれは偶然だったのでしょうか。


研究の世界が侵食されていないか?

前の記事でも書いたとおり、私は皇族であること、いや将来の天皇だからといって研究の世界を手のひらの上で転がすようなことはしてほしくない、その思いで「未然に防ぐ」ために調査を続けていました。
日本の研究環境は厳しく、研究費が不足しているという声はよく聞きます。
皇族、つまり将来の天皇を自分の研究に取り込むことができれば、もしかするとその悩みは解消されるのかもしれません。
しかしそれは、その研究を「差し出す」ことであり、「研究の独立性の喪失」「研究の腐敗」につながり、衰退の道につながるように思います。
飢えた生物が自分の体を食べているような状況のような。

上皇様や秋篠宮さまがそうであったように、皇族の男子としてまれた時から、いずれ何らかの生物研究者として想定されていたのではないでしょうか。
悠仁さまには、それがトンボであったと。

本当に悠仁さまの興味のあることなのか、研究をしているのか、そこが問題です。
5,6歳ごろから調査(観察ですね)を始め、それが今回の論文につながったとのことですが、幼児でも昆虫の観察はしますよね。
ずっとアリを見ている子、飛んでいるトンボを追いかけている子、セミを捕ろうとしている子、大勢います。
特別な行為や関心とは思えません。

勝山市にご旅行された際、あの6歳の時点でトンボに興味が本当にお持ちでしたでしょうか?
『小笠原諸島を訪ねて』にはトンボのトの字もありませんでした。(今は無き「美しきトンボをめぐる人の欲…すべての道は東大農学部に通ず?それは自身の努力で切り拓いてこそ 前後編」ではそのあたりを書きました)

『トンボが好きです』なら幼児でも言えます。

国や行政の流れに乗る

こちらの記事(放虫について)でも触れたように、港区では生物多様性地域戦略が2014年(平成26年)に策定されています。
それを受けて生物多様性緑化ガイド(外部リンク)が作成され、緑地に生物を集めていこうというエコロジカルネットワークの「拠点」として赤坂御用地が選ばれています。

日本各地で環境や生物多様性に対する機運が高まっていますから、計画自体は何らおかしなことはありませんし、緑豊かな赤坂御用地が拠点とされることには不思議ではありません。
しかし、こういった地方行政、国の施策にうまく乗っている気がしてなりません。



トンボ論文のを読んだ感想は、観察日記のようだなと同時に、やはりそう来たかと思いました。
論文のタイトル「赤坂御用地のトンボ相-多様な環境と人の手による維持管理-」https://www.kahaku.go.jp/research/publication/zoology/download/49_4/L_BNMNS_49-4_129.pdf

この論文で言いたかったことは、あの種が増えたこれが確認されたではないと思います。
種を維持、増やすために、人間が管理することが重要だと述べていると感じました。

まず結論ありきで書き、そのためにあれが増えたどうこうといじるために、おかしな画像や観察日、誰が見つけたか撮影したかもわからない杜撰なものになったのではないでしょうか。

そもそも、それ以前の皇居調査では、黄昏飛翔などの時間帯に調査をしていないこと、観察日がたった数日と少ないこと、それでは見落としがある可能性を述べました(それも今は無き記事に…)
今回のトンボ論文で、全てを悠仁さまが観察記録したというなら、その見落としが減るはずです。
たった数匹だけが飛翔してくるならば、過去の調査では見落とすかもしれません。
しかし、「自分の庭」ならば見落としの可能性は減ります。
きっと増えるだろうと予測しました。


港区が上記のような戦略をとる中、悠仁さまが行ったことは何でしょうか。
観察はしたのかもしれません。
しかし、「多様な環境と人の手による維持管理」は、そもそも論となりますが悠仁さまの成果ではないと思います。

生物多様性の社会の流れにふわっと乗った、既に世間に周知されてきている考え方を結論ありきで書いたに過ぎない、そういう論文だと私は思います。

高校生としては、決して突出したものではないと感じました。
日本国内最高峰の東大、なめられすぎてませんか?

放虫か、人の手による管理か。考え方次第では?


過去私が調べた意見となりますが、
例えばビオトープ。

元々自然豊かな公園など、そこにいる種を守るために環境を整える整備。
それとは別に、環境に配慮した公園として新たに作るものには、後付けでビオトープが作られ土や水とともに外部から移動させていることがある。
これは「放虫」ではないですか?
種が移動する、外来種ではないですか?

しかし、これを「人の手による生物の保護 種の管理」という見方もあることがわかりました。

こちらが最近話題となりました。

「外に放すぐらいなら燃えるゴミに出して」(外部リンク ねとらぼ)

こちらは外国産のクワガタですが、その地域に元々存在しないのに、よその地域から持ち込まれたり移動したりして、そこで定着すれば、それは「外来種」だそうです。

(消えた記事、『美しきトンボをめぐる人の欲…すべての道は東大農学部に通ず?-それは自身の努力で切り拓いてこそ』(前・後編)では、グリーンアノールについて述べました)

上記、クワガタの記事では、元々そこにいる在来種の生態系を乱すため、またそれは飼育禁止を招いてしまうため、外に放すぐらいなら燃えるゴミに出してと過激な表現をされてますね。
そのくらい放虫はご法度だと思いました。

オタマジャクシ、ザリガニ、セミにトンボ、カブトムシ。
子供が自然の中で捕ってきた生物。母親に「外に捨ててきなさい」と言われ、近所の田んぼに放しに行く。

私は環境や生物のs年門下ではないので、どちらが正しいかはわかりません。
単に、同じ行為でも「外来種の放虫」となるか「人の手による維持管理」となるか、視点の違いでどちらとも取れると思いました。

赤坂御用地で、意図的に「放虫」が行われたのでは?といくら騒いだところで、「人の手による管理です」となるのではないかと、私は思っています。
そして、皇族の手に研究や文化が渡ることを、むしろ好意的にとらえる国民も多いということは、過去にもとある皇族(これもいずれ書きたい)の行いで明白ですので、そちらの世論を待っているのかもしれません。

(こちらについてはいつか書きたいです。っが、消えた記事の復活にも相当時間がとられるのでいつになることやら)


『小笠原諸島を訪ねて』然り、トンボ相論文然り。
たとえ、それを書いたのが悠仁さま本人であったとしても、周囲の大人たちが必死でご優秀さをアピールし、ズルをしていることは、国民の目によって見抜かれてます。

実力で東大入学してください

何よりも問題は、悠仁さまが皇族であり、現在の皇室典範ではいずれ天皇になる身でありながら、進学問題に絡めていることです。
ぶっちゃけ言えば、悠仁さまは赤坂御用地に住んで、そこのトンボを観察した、それだけのことではないでしょうか。
それだけのことで研究者の手と名を借り論文になり、それが認められて、悠仁さまのために作られた特別ルートを、さも本人の実力で通る道のように仕立て上げる。
だから批判されるのです。

まず、国立大学は皇族のためのものではありません。
堂々と一般入試を受け実力で勝ち取れば、国民は文句は言いません。
悠仁さまは特別枠で良いとする擁護派は、「皇族が国民と争うだなんて・・」などと言いますが、その感覚の国民は、今やはるかに少数でしょう。


時代を読んでください。
もう、戦前戦後、昭和ではなく、令和であり、悠仁さまと同世代はまた新しい視点で見ます。
悠仁さまが将来の天皇というならば、尚更、その同年代の人達に受け入れられなければ、彼はズルで東大に行ったと思われ続けるのではないでしょうか。
今までも、そしてこれからも国民の口をいくらふさいでも、考えまでは変えられません。

このまま強行し続ければ、「ズルして東大に行った」「皇族の力で研究も思いのまま」

とずーーーっと言われることになりませんか?言われるのは悠仁さまです。
別名・言論弾圧室と呼ばれる宮内庁広報室も、悠仁さまの周りでなにやら動いている人達も、何ら悠仁さまのことを考えていないように思います。


国民が天皇陛下に、東大卒という肩書を望んでると思われますか?
東大推薦入試を強行して、失うもののは何でしょうか。

東京大学に入学し、トンボを研究なさりたいなら、一般入試を受験してください。
私の姪も夏休み返上で、夢を叶えるために勉強しています。
まずは、多くの同世代の子たちと同じ経験をされてはどうでしょうか。

東京大学ですから、たとえ一度や二度失敗してもバカにする者はきっといません。
むしろ、国民と同じように努力をされる悠仁さまだと親しまれると思いますよ。
しかし、日本の報道では、とても素晴らしい成績を収められている悠仁さまとのことなので、失敗などとは私の杞憂でしょうしね。


私がこれを書いているのは、8月15日、太平洋戦争終戦の日です。
戦時中、「日本は負ける。こんな戦争は止めるべきだ」と思っていた人達も、理不尽にもその戦争で亡くなっていきました。
今の、これからの天皇とは何か、国民とはどのような関係であるのか、国民の声とは何か、それは本当に「雑音」や「誹謗中傷」なのか、よくよくお考えいただければと思います。

日本の象徴

私は、どこにでもいる皇室に好意を持っている日本人なので、難しいことはわかりません。
でも、以下のことは知っています。

日本国憲法は、戦後1947年(昭和22年)5月3日に施行されました。

天皇とは、国民の代表や権力の源ではなく、日本の象徴的な存在だと、何よりも先に定められています。
また、日本国民の総意に基づく、と。

研究の世界をコロコロ転がしたり、国立大学に特別枠ルートを作らせてそこを通させたり、国民の口を閉ざさせる存在・権力者ではないはずです。
憲法は、国民の権利を自由を守るためのもの。

個人的な意見を述べれば、
日本の象徴がズルをしてはいけない、ズルをするのならば、日本の象徴だと思いたくありません。

もちろん、何の穢れもない清廉潔白な聖人君子までは求めません。
しかし、日本人が好む、「不正を嫌う」「誠実さ」「努力する姿勢」は持っていてほしい。
日本人は不正を嫌うんですよ。
私は、命ある限り、日本を、皇室を愛したいです。
敬愛の心を持てる皇室であってほしいです。

多くの人達が、声を上げている思いはそこにあります。
どうか、国民の声に耳を傾けてください。
敬愛の心は、完全に一度なくなれば、二度と戻らないでしょう。

そしてそれは、将来の天皇ではなくても、皇族である限り同じだと私は思います。

秋津まなこ